自然エネルギー100%は可能か (その1)
2011年03月02日 12:45
この石油減耗時代、石油代替エネルギーが必要であること、何人も容認しますが、それから見解は分かれます。
代表的なものを順不動で列記します。
天然ガス、石炭、原子力、太陽、風力、小水力、バイオマス、海洋温度差、波浪などと様々。大別すると、在来型、非在来型となるでしょう。また非在来型の代表が、自然エネルギー、新エネルギーという言葉も盛んに使われます。
そこで問題、どれが本命、望ましいのか、未来世代まで継続可能で、環境にもやさしいのか。議論百出、識者の見解はまちまち、収拾つかない、自画自賛、我田引水で、税金を投入するプロジェクトが、乱立することとなります。
本稿は、それを基本に戻って整理するものです。
焦点は自然エネルギー、それを逐次連載するつもり、今回は(その1)です。
先ず、エネルギー資源、新エネルギーの評価は何らかの基準が要ります。それにはEPR、エネルギー収支比が適しています。エネルギーの出力と入力の比ですが、1以下では意味が無い、文明を支えるにはEPRが大きくなければならない、出来れば10以上と。
「EPRはエネルギーの質」を評価するものです。
より一般に、「資源は質ば全て」ということです。これが日本で忘れられ勝ち、科学技術で、イノベーションでと楽観論が展開されます。しかし資源とは自然の恵み、その要が「質、濃縮されている」、ということです。
以上の基本から、本題の自然エネルギーを考えます。
太陽、風力などはエネルギー密度が低い、濃集されていない、それを集めるにはエネルギーが必要となります。
もう一つの問題、それらは間欠的であること、夜は太陽が照らない、曇りも駄目、風もいつも吹くとは限らない、自然エネルギー100%は原理的に無理なのです。とても、今の大量消費型の工業社会の維持は不可能です。そこで考えるべきこと、先ず、無駄、浪費しない、徹底した「低エネルギー社会」の構築です。
分散する自然エネルギーを、出来るだけ分散した状態で利用する、地産地消を工夫することです。間欠性には、エネルギーの蓄積が必要です。
このように考えてくると、例えば、サハラ砂漠の1%の面積で太陽発電すれば、ヨーロッパ全体のエネルギーが賄える、という「お話」などは科学合理性を欠く、とわかって来ます。これは「当たり前」、自分ですこし考えればわかることなのです。
以上、その1)の終わり。
ではどうするか、は次を御覧ください。

コメントを書く コメント
石井先生、
非在来型のエネルギー資源について、シリーズで書かれるとのこと、楽しみにしています。
最近、パーマカルチャーを提唱しているデビッド・ホルムグレンの「未来のシナリオ-ピークオイル・温暖化とパーマカルチャー」を読みました。ピークオイルと温暖化を同レベルで議論している点は問題ですが(私自身はピークオイル・エネルギー資源問題のほうが温暖化よりはるかに優先度の高い問題と考えています)、エネルギーを総量で議論するのではなく、エネルギー純益(EPRに相当)で議論し、2050年には人類の使用可能な正味エネルギーは楽観的に見ても現在の40%と唱え、エネルギー下降時代に向けてどのような社会を築くか、いくつかのシナリオを用意して述べています(もっとも、パーマカルチャーの宣伝臭が気になりますが)。
代替エネルギーと呼ばれるものに、「技術が上がれば」とか「石油価格が上がれば」といった前提で金を注ぎ込み幻想を振りまいているのは、やはりまだ本当に石油が無くなる事態というものを想像していないからではないかと思います。
そのような無駄な所に貴重な化石燃料を少しでも消費するのは将来の人類からの窃盗に等しいのではないでしょうか。
数千万年かけて貯められた化石燃料を我々の世代だけで使い果たしてしまうというのもかなり問題があるのではないかとも思います。
できるだけ速やかに化石燃料はこれ以上使わない(”増加させない”ではありません)社会にするためには現在の人々の想像を絶する低エネルギー社会が必要となります。とはいえちょっと前までの社会と一緒なんですが。
今回の原発事故に起因する計画停電は、低エネルギー社会構築に向けての準備としては悪くないかもしれません。
ドイツのメルケルは事故にいち早く反応しました。
日本の原発推進派は、「電気がなくなりますよ」と言って脅しますが、供給が30%減少する事は可能だという事を示す計画を日本でも策定する必要があると思います。
今後100年の日本のエネルギー計画をつくり、その中で、今後10年で原発を順次停止していく事も織り込んでいくような事が出来ないのでしょうか?
コメントを書く
※発言内容の質を保つために、原則として実名でのコメントをお願いします。