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Dmitry Orlov氏の『アメリカの世紀後のためのソビエト後の教訓』

大谷正幸

2012年08月08日 15:13

 今の若者にはソビエトが崩壊した頃の記憶がない。ゆとり世代の受け身の姿勢はしばしば指示待ち状態などと言われるが、上位審級が規矩として機能しない時代に待ち状態でいるとしたならば、相当に拙いのではないか。せめてソビエト崩壊という出来事から未来を切り拓くための教訓を引き出しておいてはどうか。

 ソビエト崩壊(1991年12月25日)に先立って、ソビエト国内の石油生産量は1987年頃にピークに達しており、また、ベルリンの壁が壊され(1989年11月10)、ルーマニアのチャウセスク政権が失墜するなど次々に東欧の共産党政府が打倒されていった。北朝鮮然り、キューバ然り、ソビエトは衛星国に構っていられなくなったわけだ。周辺の変化は未来を読み取るヒントを与えていたのだが、むしろ当時の日本人はバブル経済に現を抜かしていた。


 あれから20年ほどの月日が流れて、私たちは明るい未来を想い描くことが難しくなっている。閉塞感漂う日本社会は、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』に描かれた未来社会のようでもある。今や日本論は「属国」「対米従属」という概念を抜きにしては語れないほどになっているが、いよいよ宗主国の未来が脅かされる時代に突入しているのではないか。なにしろ2006年頃、世界の石油生産量はピークに達したようだから。


 偶然とは思えないのだが、ちょうどソビエトが崩壊する前のように世界は再び慌ただしくなっている。2010年12月のチュニジアのジャスミン革命に始まる、いわゆる「アラブの春」と呼ばれる反政府運動がアラブ世界で発生した。2011年2月11日にはエジプトのムバラーク政権が失墜したことは記憶に新しいが、かの国の傀儡と呼ばれたムバラークの失脚は、抑えが効かなくなったとことを暗示しているのではないか。また、ギリシア、スペイン、イタリアといった旧西側陣営の国々は今、金融危機に苦しんでいるが、手厚い救済は受けられないでいる。それどころか、イスラエルでさえも生活苦に喘ぐ民衆が抗議活動を展開しているのだ。灯台下暗しとは言うが、震災前から続く私たち日本人の苦境も無関係なことではないだろう。


 さて本稿は、Dmitry Orlov 氏の処女論文”Post-Soviet Lessons for a Post-American Century”の邦訳である。米ソ二つの超大国の比較を通して、アメリカの崩壊がソビエト崩壊よりもひどい事態を招来することを論じた内容である。この論文は、2005年にMichael C.Ruppert氏が主宰するウェブ・サイトFrom the Wildernessに三部作として掲載されて世に知られるようになったが、本稿はhttps://docs.google.com/document/pub?id=1M56LtVzVcYJSMGKm5CV2RcePETqK1BwvF-Pb5AkdTXM にあるドキュメントを底本とした。この論文は、オリジナルの英語版のほか、スペイン語、ポルトガル語、フランス語訳が出ており、とくにフランス語版にはソビエト崩壊当時の町並みやダーチャなどの画像が掲載されているので、参照されたい。
http://www.orbite.info/traductions/dmitry_orlov/lecons_post_sovietiques_pour_un_siecle_post_americain.html 
 また、この論考の内容を収めたOrlov 氏の著書”Reinventing Collapse”は韓国語訳が出版されていることを付言しておく。

 

 

 十五年ほど前に(註:本稿は2005年に書かれたので、1991年頃)、世界は二極構造から一極構造に変わった。極の一つが壊れてしまったからだ。今はもうSU極(註:Soviet Union)はない。もう一つの極は、US極(註:United State)という対称的な呼び名だが、まだ壊れてはいない。けれども、不吉な物音が徐々にはっきりと聞こえるようになっている。一九八五年にはソビエト連邦がまさか崩壊することになるとは思われていなかったように(註:ロシア通の元CIA長官ロバート・ゲーツさえ冷戦構造が続くと考えていたhttp://www.energybulletin.net/node/53129、今はまだ、合衆国の崩壊は起こりそうもないことのように思われる。ともあれ、先に崩壊した方の経験は、次の崩壊から生き残りたい人々にとって、教訓となるかもしれない。


 合理的に考える人ならば、二つの極が完璧な対極にあったとは決して主張しないだろう。かなり似通ったところもあれば、大きく異なるところもある、と言うだろう。この類似点と相違点は、この惑星を支配した後に足下が覚束なくなった超大国という巨人が崩壊し始めるや、晩年をどのように遣り繰りしていくのかを見通す上で、とても重要だ。


 私は、今となっては10年ほどの間、この記事を書くことを暖めてきた。しかしながら、最近になるまで、ほとんどの人々はここに書くようなことを深刻には捉えてこなかっただろう。つまるところ、冷戦にも湾岸戦争にも勝利して、スーパーハイウェイ構想、超音速ジェット機、そして惑星間コロニー計画といった明るい未来へと意気揚々と続いていく予定だった世界最強の経済大国、すなわち合衆国を一体誰が疑うことができただろうか?


 だが、最近になって、多くの疑い深い人々が着々と現れ始めている。合衆国は安くて豊富な石油と天然ガスの入手可能性にどうしようもないほど依存しており、経済成長に毒されている。石油と天然ガスが高価になって(すでに高水準)、慢性的な供給不足に陥るならば(せいぜい1,2年の問題)、経済成長は止まり、合衆国の経済は崩壊するだろう。


 多くの人々はまだこの気が滅入る予測を嘲笑うかもしれないが、この論考は幾人かの読者の目にとまるはずだ。私が執筆し始めた2004年10月、インターネットで「ピークオイルpeakoil」や「経済崩壊economic collapse」の検索をすると、およそ16300のドキュメントが現れた。2005年4月までに、その数は4,220,000件に増えた。これは一般の人々の考えについての劇的な変化だ。なぜならば、今、この主題について知られていることは、10年ほど前(註:1997年頃)に多かれ少なかれ知られていたことだからだ。10年ほど前、まさにこの主題に献げられた一つのウェブ・サイトができた。ジェイ・ハンソンのDieoff.orgである。人々が思うところの潮目の変化は、インターネットの世界に限られた話ではない。メインストリーム・メディアにおいても散見されるようになり、また、専門家も声を上げているのだ。そのようなわけで、数十年来のこの主題への関心の欠如は、無知からではなく、否認に由来するものだったと言えるだろう。資源の減少をモデル化して予測するために用いられる基本的な理論は1960年代からよく理解されていたのであり、ほとんどの人々が否認した状態のままであり続けたいのだろう。

 

否認 
(註:否認とは、耐えがたい現実を拒否する防衛機制のことである。また、石油減耗問題の受容に関して、E.キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』に記された死に対する姿勢の五段階(「否認」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」)がしばしば引き合いに出される。)


 ソビエト崩壊とそれが私たち自身に降り掛かる崩壊について教えてくれる話からは逸脱するが、私は否認についていくらか語らずにいられない。というのは、否認は興味深い題材だからだ。私は読者が否認を乗り越えて前に進むことを切に願っている。否認を乗り越えることは、私がここに記すことを理解する上でも有益なステップになるだろう。


 今やピークオイルに関する予測の多くは、およそスケジュール通りに現実のものとなっている。次第にエネルギー価格の高騰とエネルギー問題の様々な意見を持つ専門家の警告を無視することは難しくなっている。そして、徹底的な否認から徐々に狡い否認の形に代わってきている。つまり、ピークオイルによって実際に招かれ得ること、及びそれがもたらすことに個人が対処することになるかもしれない方策に関して、本気で現実的な議論することを避けようとしている。


 一方、「私たち」が何をすべきなのかという政策については、多くの議論がある。けれども、ここで問題となる「私たち」とは、思うに、偉大なアメリカ人のCan Doスピリットを具現化した代名詞なのであり、政府機関、大学、研究所および大企業の眩いほどの集まりを指す。彼らはさらにもう一世紀経済を拡大するために、クリーンで環境にも優しいエネルギーを潤沢に供給するという目標に向かって、一丸となって取り組むつもりでいるのだろう。さあ、全世界の終わりに、手荒な余興だ!


 「私たちが望むならば、私たちはそれをなし得る」といった声をしばしば聞く。たいてい、専門家ではない人、ときに経済学者の口からそのような言葉を聞くが、その類の言葉を科学者やエンジニアからはほとんど聞かない。簡単な計算でわかることなのだが、テクノロジーの女神が解決してくれるという信仰と論理とが対立するからだ。その女神を祀った祭壇の上には、Can Doスピリットを呼び覚ますために用いられる様々な儀式の貢物が供えられている。太陽電池、燃料電池、エタノールの入ったガラス瓶、バイオ燃料の入ったガラス瓶、である。祭壇の傍らには、石炭、タール・サンド、大洋に眠るメタン・ハイドレート、そしてプルトニウムの詰まったパンドラの箱が置かれている。もしも女神を怒らせるならば、地球上の生命に幕が下りることになるだろう。


 けれども、単なる信仰を乗り越えて、少しばかりより合理的な事実に注目してみよう。この「私たち」と言っている高度に組織化されて強大な力を有する問題解決のための統一体は、やがてエネルギーを使い果たしてしまうだろう。そして、エネルギーが尽きるや、もはや強大ではなくなってしまうだろう。私は率直に言いたいのだが、現在遂行されているどんな長期計画も水泡に帰する運命にある。というのは、危機にあるという条件が単純に、大規模かつ野心的な事業の長期計画を頓挫させてしまうからだ。そのようなわけで私は、SUVのボンネットの下やマックマンション
(註:デベロッパーが開発する面白みのない大きな家の蔑称)の地下室に奇跡の装置が据え付けられて、郊外型生活の夢の後にも幸せに暮らすことができるなどと待望することには首肯しない。なにはともあれ、その夢物語はますます悪夢の様相を呈しているのだ。


 否認したがっているもう一つの団体は、テクノロジーの女神が私たちを見捨てたならば、不可避的に起こるにちがいないと決めつけていることに考えを巡らせている。つまり、ますます希少になり続ける資源を巡っての戦争だ。このことについて、ピークオイルの問題をとてもよく知っているポールC.ロバートは、次のように言っている。「資源が少なくなったとき、死にもの狂いの状況がいつももたらしたことは、資源を巡って戦い合うことだ。」(二〇〇四年十一月十二日付けマザー・ジョーンズ誌)戦争が絶対に起こらないとは言わないが、これまで戦争は絶望という無益な意思表示以外に何か残してきただろうか?そもそも戦争自体が資源を食う営みだ。資源がすでに乏しいとき、資源争奪戦争をすることは、無益どころか致命的な行為になるだろう。そして、資源に勝る方が戦争には勝つのだ。私は資源争奪戦争が起こらないとは言わない。だが、戦争は無駄なことであり、そういう紛争の勝利は敗北とほとんど区別がつかないと言いたい。そして、資源を巡る紛争は自ずと制約が課されるということも言っておきたい。現代の戦争は莫大なエネルギーを使い尽くしてしまうが、もしも紛争が石油や天然ガス施設を巡ることならば、繰り返しイラクで起こっているように、石油も天然ガスも吹き飛んでしまうだろう。こうして利用できるエネルギーはさらに少なくなり、したがって、戦闘状態もより小さくなる。


 例えば、過去二回のアメリカのイラク侵攻を考えてみよう。いずれの場合でも、アメリカの軍事行動の結果として、イラクの石油生産量は減少した。そして、今や戦略全体が失敗だったように思われる。サダム・フセインを支持したかと思えば、フセインと戦い、それからフセインに制裁を科して、最後には彼を転覆させて、ひどく損壊されたイラクの油田を残した。今やイラクの油田の「究極可採埋蔵量」はかつて地中にあると考えられた量の一〇~十二%にまで落ちこんでいる。(ニューヨーク・タイムズ紙)


 資源を巡る戦争は終盤になると核戦争になると言う人々さえいる。この点については、私は楽観的だ。ロバート・マックナマラがかつて考えたように、核兵器は行使することが困難である。彼は核兵器の利用をより容易にするために、小型で戦略的なピンポイント核兵器類の導入を主張することで多大な功績を残している。れれども、彼は最近、核を搭載した「バンカー・バスター」へと関心を移したが、そういった兵器は、エネルギー供給量を確実に増やすという繊細な戦略目的自体をふいにしてしまうので、ほとんど使い物にならない。このような関心領域については、従来からある武器で有効なものは何もなく、核兵器がよりよい結果になるとする理由も明白ではない。


 細かい話をしたが、私が本当に指摘したいことは、たとえ最悪のシナリオであったとしても、資源戦争を想定することは否認に留まっている、ということなのだ。そこには暗黙の仮定がある。他のすべてが失敗したならば、私たちは戦争して勝利する。そして、再び石油が流通して、間もなく平常通りの営みに戻るだろう、という皮算用だ。ここでもう一度、次第に減少している世界の原油供給量の大きな分け前をアメリカに向け直すために行われている地球規模での治安活動の成功を望んでも、うまくいかないだろうと釘を刺しておこう。


 このほかにも、否認したがる人々は西洋文明の崩壊と呼ばれる混乱状態に陥っていて、黙示録に登場する四人の騎士が頭の中を徘徊しているようだ。ある人々はあなたにそれを信じてもらえるとでも思っているのだろう。これは否認というよりも逃避であり、英雄気取りで最終章の大フィナーレを渇望しているわけだ。文明が崩壊することはとてもよく知られた事実だが、ローマ帝国衰亡史(註:ギボン作)の読者ならば、文明の崩壊プロセスは数世紀を要するとあなたに語ることだろう。


 むしろ急激に崩壊に向かうのは、経済なのである。経済は崩壊することが知られており、文明よりもはるかに高度な規則性を伴って崩壊する。だが、経済が崩壊して、光さえも逃れることのできないブラック・ホールになるわけではない。そうではなくて、他のことが起こる。つまり、より緩慢になった資源消費速度で均衡点を見つけようとして、社会は自発的にそのあり方を変えて、新しい関係性を構築して、新しいルールを生み出していくことになるのだ。


 その試練は人々の大きな苦痛を伴う、ということにくれぐれも留意して欲しい。経済なしでは、多くの人々が突然、自身が生まれたての赤子と同じくらい無力だということに気づくだろう。どちらかと言えば、人々の多くはより早く死ぬようにもなる。それは「個体激減die off」と呼ばれることもある。その激減する人口集団は、最も弱い人々、子供や老人や虚弱体質の人、そして、愚かな人や自滅的な人からなる。一方、虫や木の皮を見境なく食べてでも生き残ることができる集団もある。ほとんどの人々はこの間のどこかに収まる。


 経済の崩壊によって、新たにより小さくより貧しい経済が生じる。そのようなパターンは何度も繰り返されてきたことだ。だからこそ、既に起こった崩壊と今にも起こりそうな崩壊の間の類似点や相違点について帰納的に推理することができる。もちろん、観測と計算にもとづき星が崩壊して中性子星になるのかブラック・ホールになるのか正確に予測する天文学者ではないのだから、私たちは一般に観察されることと逸話的な証拠とを用いて研究しなければならない。けれども、私の思考実験は新しい経済の全体像を正確に推測することを導くことになるだろうし、諸個人や小さなコミュニティにとって役に立つサバイバル戦略を導くだろう。

 

ソビエト連邦の崩壊:概観


 現代の経済が崩壊して、経済に支えられた複雑な社会が分解したとき、どんなことが起こるだろうか?最近そのような経験をした国を調べてみることが、もっとも勉強になる。幸運にも私たちは、ソビエト連邦の崩壊という格好の実例を持っている。私はペレストロイカの期間とその直後に六ヶ月ほどロシアに滞在して、あちこち旅をしながら仕事をしていた。そして、気づいた変化に心を奪われてしまったのだ。


 もちろん、細部は異なると思う。しかし、ソビエトで起こった問題は物理的な問題というよりもむしろ組織の問題だと多分に考えられてきたが、ソ連が石油生産量のピークに達してからちょうど三年後に崩壊したという事実は偶然の一致などではなかろう。
(註:参考Douglas B. Reynolds “Peak oil and the fall of the Soviet Union: lessons on the 20th anniversary of the collapse”  http://www.energybulletin.net/stories/2011-05-27/peak-oil-and-fall-soviet-union-lessons-20th-anniversary-collapseソビエト連邦が自壊したことの究極的な原因は今なお謎に包まれたままだ。ロナルド・レーガンのスター・ウォーズ構想が引き金だったのか?それとも、ライザ・ゴルバチョフのアメリカン・エキスプレス・カードに原因があったのか? ミサイル防衛のための盾はごまかすことができるが、ハロッズ百貨店での買い物をごまかすことは容易いことではない。ともあれ、この議論は前に進んでいない。現代における一つの仮説は、ソビエトの社会主義はエリートを豊かにしそうもないとエリートたちが判断して、すべての計画からソビエトのエリートたちが逃げ出した、というものだ。(けれども、このような端からわかりきっていた結論にソビエトのエリートが到達するのに七〇年もかかったというのでは、明快な答えにはなっていないだろう。)


 もう少し常識的な説明はこうだ。ペレストロイカの前の「不景気」の間に、慢性的な経済の不調に加えて、軍事支出と貿易赤字と対外債務が嵩んだことで、平均的なロシアの中流家庭、つまり共稼ぎの三人家族が収入の範囲で生活することが困難になった、というものだ。(これは今、私たちも感じ始めていることではないか?)もちろん、政府の役人は、庶民の苦しい生活事情にはあまり関心を持たなかった。そこで、人々は政府の管理の網の目を潜り抜けて、生き残りのための術を見つけ出したが、政府がの方はシステムを維持するために必要な成果を上げられなかった。こうして、システムが改革されなければならなくなった。改革の気運が高まり、改革派の人々がシステムを改革するために勢揃いした。けれども悲しいかな、システムは改革されなかった。システムを直すどころか、ばらばらに壊れてしまったのだ。


 だが、ロシアは経済的に回復を遂げることができた。というのは、ロシアには石油と天然ガスが潤沢なまま残っていたからだ。おそらく少なくとも二、三十年は繁栄し続けるだろう。翻って北アメリカでは、石油生産量は一九七〇年代初頭にピークを過ぎて、それ以来ずっと減少している。天然ガス生産は今や崖を下るように落ち込んでいる。けれども、エネルギー需要は北米大陸が供給できる以上にまで拡大し続けており、自ずとエネルギー事情が回復する見込みはない。ところで、私がロシアは回復したと言っても、ソビエト崩壊に伴う人々の犠牲や再生したロシア経済の不均衡と経済格差の拡大を控えめに言おうとしているわけではない。私が言いたいことは、ロシアはエネルギーを完全に使い尽くしていなかったからこそ息を吹き返すことができたが、合衆国はさらにエネルギーを使い込むだろうから復活の可能性は低い、ということなのだ。


 けれども、このような「全体像」の相違はあまり興味深いものではない。むしろ諸個人からなる小集団が経済と社会の崩壊にいかに首尾よく対処するかという観点から興味深く実践的な教訓となるのは、ミクロな類似点である。そしてここに、ソビエト崩壊後の経験から供される多くの有益な教訓がある。

 

ロシアに戻って


 私は、後にサンクトペテルブルクと再び名づけられることになるレニングラードに初めて帰った。それは一九八九年の夏のことで、ゴルバチョフが政治犯の最後の一群を釈放したおよそ一年後のことだった。私の叔父も釈放された政治犯の中に含まれていた。叔父はアンドロポフ書記長の決定によって、つまり鉄の拳を掴んだ老いぼれの試みによって、投獄されていたのだ。そしてまた、ソビエトを逃亡した者がはじめて、帰国することや訪問することができるようになったのだ。私がレニングラードを去ってから十年以上の月日が流れていたが、ボルガスやラダス(補註:自動車の名称)で混んだ騒がしい道路、ネオンでライトアップされた高い建物の屋根に掲げられた共産主義者のスローガン、店には長蛇の列、その地の多くが私の記憶通りのままだった。


 唯一の真新しいことは、新たに組織された協同組合運動を取り巻く動きの混乱だった。新興の企業家階級は、彼らの協同組合だけが政府公示価格で政府に販売することを割り当てられていると不平を言うことに躍起になっていたが、同時に彼らは取引の協定を介して総収入から所得隠しをする新手の方法を考案していた。もちろん、ほとんどが破産した。所得隠しが彼らにとって、あるいは政府にとって、大当たりのビジネスモデルではなないことが判明したわけだが、政府が死にかかっていることもまた判明したのだ。


 私はその一年後に再びレニングラードに戻ってみたのだが、まったく知らない場所のように感じた。先ず何より、匂いが変わっていた。スモッグがなくなっていたのだ。工場の多くが閉鎖され、交通量もとても少なくなり、空気がとても美味くなっていた。店舗の多くは、商品がまったく陳列されていない空っぽの状態で、およそ休業していた。営業中のガソリンスタンドはごくわずかで、営業しているガソリンスタンドでは数ブロック先まで車列ができていた。そして、購入できるガソリンは一〇リットルまでと制限が課されていた。


 友人と私は取り立ててすることが何もなかったので、プスコフやノヴゴロドといったロシアの中世都市を訪ね、道沿いの田舎を見て回る自動車旅行をすることにした。そのために私たちは燃料を調達しなければならなくなったわけだが、手に入れるのには難儀した。燃料は闇市で手に入ったが、誰もあえて価値のある何かを手放してマネーのような利用価値のないものと交換しようとする雰囲気ではなかった。ソビエトの通貨はすっかり価値を失っていたのだ。というのも、ソビエトのお金で買えるものはほとんどなかったからだ。それでも人々は外国の通貨には反応を示した。


 幸運にも私たちには通貨の代わりになる限られた蓄えがあった。ゴルバチョフの不運なアルコール中毒撲滅キャンペーンは終わりに近づいていたが、その間、ウォッカが配給されていた。私の身内に不幸があって、ウォッカの配給券を香典として受取っていたのだが、もろんすぐにモノに換えておいたのだ。そのウオッカの残りが頼もしい旧式ラーダ(註:自動車の名称)のトランクの中にあり、それが売れたのだ。なんとウォッカ五〇〇ミリリットルがガソリン一〇リットルと交換できたわけで、ウォッカにはロケット燃料よりもはるかに効率的なエネルギー密度が与えられていたようなものだった。


***


 二年後、再び私は戻った。今度は真冬だった。仕事でミンスク、サンクトペテルベルク、モスクワを回った。私の任務は旧ソビエトの軍需産業の何かが民生用に転用され得るかどうか調べることだった。察しの通り、仕事は大失敗で、完全に時間の無駄となった。けれども、別様の勉強にはなったのだ。


 ミンスクは、冬眠から叩き起こされた都市のように思えた。日が昇っている短い間だけ、通りは人でごった返すのだが、人々は次に何をしたらいいのか考えあぐねているかのように、ただ突っ立っていた。同様の雰囲気は重役室にも広がっていた。そこには私が「邪悪な帝国」の典型的な人物だと思うようになった人々が、民衆の悲運を哀れんでいるかのような顔をしたレーニンの埃まみれの肖像画の下に座り込んでいた。誰も事態を打開する妙案を持ち合わせていなかったのだ。


 唯一の輝きは、お調子者のニューヨークの弁護士から届いた。彼は宝くじを催そうとして、その地をぶらついていたのだ。そんな彼が計画を持ったほとんど唯一の人物だった。(ソビエト崩壊前には核融合反応炉用の爆発圧接部品のようなものを扱っていた研究機関の責任者だった人も計画を持っていたが、それは夏に過ごす別荘を建てたいというものだった。)私は早々と仕事を切り上げて、サンクトペテルブルク行きの夜行列車に乗った。快適な古い寝台車で、最近軍医を辞めたばかりの若者と客室を共にすることになった。彼は私に巻物状にした100ドル札の束を見せてくれて、地方のダイヤモンド取引について話してくれた。私たちはコニャックのボトルを分け合って、うたた寝した。愉快な旅だった。

(註:この論考の書籍版である”Reinventing Collapse”には、崩壊前には最先端の工学研究に携わっていた者が公園で鴨猟に勤しんでいたことや、ドイツ人ビジネスマンがミンスクの女の子をナンパしまくっていた話が紹介されている)


 サンクトペテルブルクは衝撃だった。冬空の下、のしかかってくるような絶望感が漂っていた。老女たちが自然発生した青空市場のあちらこちらに立っていて、何か食べるものを買うために、おそらくは孫のオモチャを売ろうとしていた。中流階級の人々があちらこちらでゴミ箱漁りしている姿が見られた。誰もの蓄えがハイパーインフレーションによって帳消しにされてしまったのだ。私は一ドル札の大きな束を持って到着した。あらゆるものが一ドルもしくは一〇〇〇ルーブルで、それは平均月収のほぼ五倍だった。私は数えるのが馬鹿馬鹿しくなって一〇〇〇ルーブル分ほどの紙幣を「ちゃんとあるか確かめて」と言って手渡した。人々は「多いよ」とか「足りないよ、ちゃんと払って」と言いながらも、厭気がさしていたことだろう。しかしながら、照明はすべて灯っていたし、多くの家には暖房もあり、電車も時間通りに運行していた。


 私の仕事の日程は、田舎の方に行って科学実験施設でミーティングをするという行程を含んでいた。ところが、その地域への電話回線が繋がらなくなっていたので、電車に乗って、いきなり目的地に向かうことになった。七時発の電車が一本だけあった。私は朝食が摂れると考えて、六時頃に駅に行った。けれども、駅は暗くて施錠されていた。通りの向こうに、コーヒーを売っている店があったが、一区画も列がついていた。ここでも老女が店の前でトレーに載せた葡萄パンを売っていた。私が彼女に1000ルーブル紙幣を渡すと、彼女は「お金を捨てたりしちゃダメよ」と言った。それで、私はトレーごと買うと申し出たのだが、彼女は「そんなことしたら、他の人は何を食べるの?」と尋ね返してきた。それで、私は会計の列に並んで、1000ルーブル紙幣を出して、使い勝手の悪いかさばる釣り銭とレシートを受け取った。カウンターでレシートを見せて、私は一杯の暖かい茶色い液体の入ったグラスをもらい、それを飲み干してグラスを返した。そして、私は先ほどの老女にお金を払って、甘い葡萄パンを手に入れた。私は彼女にとても感謝した。それは礼儀についての教訓だった。


***


 三年後、またしても私は戻った。明らかに経済は回復していた。少なくともお金を持っている人には商品が手に入る程度に復興していた。けれども、会社はまだ休業状態が続き、ほとんどの人々はまだ明らかに苦しんでいた。セキュリティが万全で、外国の通貨で輸入雑貨を売る新しい個人商店が目に入った。ごくごくわずかな人々だけがこの類の店で買い物をすることができた。また、多くの都市の一角には青空市場があり、ほとんどの買い物はそこでできた。何種類もの商品が鍵の付いた金属製の売店ブースから手渡された。その売店のいくつかはチェチェン人マフィアのもので、穴に札束を押し込むと商品が出てきた。


 お金を供給する上での支障も散発していた。私がはトラベラーズチェックを現金に換えるために銀行が営業し始めるのを待っていたことを思い出す。銀行は閉められたままだった。どの銀行もマ現金を切らしていたからだ。銀行は現金が運ばれるのを待っていた。時折、銀行の支店長が出てきて、マネーは運ばれている、心配ない、とアナウンスしていた。


 失業者、不完全な雇用状態の人あるいは古い経済の中で就業している人、それと新興の商人階級の間には大きな隔たりがあった。古い国有企業で働く人々、つまり学校、病院、鉄道、電話交換をはじめとしてソビエト経済時代から引き継いでいるところで働く人々には、苦しい時代だった。給料の支払いが不定期で、まったく支払われないこともあったからだ。人々はお金を手に入れても、生きていくのはやっとのことだった。


 ともあれ、最悪の時期が明らかに過ぎ去った。新しい経済の現実が定着した。大部分の人々が生活水準の低下を味わった。生活水準が永続的に低下した者もいる。十年がかりで経済は崩壊前の水準に戻ったが、その回復は公平なものではなかった。にわか成金の富裕層がいるかたわら、二度と収入が回復しない大勢の人々がいた。新しい経済の役割を担えない人々、とりわけ年金生活者、そして消滅した社会主義の国から利益を引き出していた多くの人々は、ぎりぎりの生活を余儀なくされた。


 ここまでの私のロシアでの経験のささやかな描写は、目撃したことの普遍的な意味を伝えることが意図されている。けれども、経済の崩壊が迫っていると考えて、それから生き残るために計画を立てたい人々にとっては、私が観察してきたことの細かな部分こそが有意義であると期待される。

 

超大国の類似点


 ある人々はアメリカ合衆国とソビエト連邦の直接比較は、ひどい侮辱でもなければ、相手にならないと考えるだろう。つまるところ、失敗した共産主義者の帝国を世界最大の経済と並べることに、どんな意味があるというのか?またある人々は、イデオロギーの対立という点で敗者が勝者にアドバイスするとは非常識だ、と思うかもしれない。なるほど両国の違いはほとんどの人々にとって明白なことなのだから、私はいくつかの類似点だけを挙げることにするが、同じくらい明らかなことだとあなたが気づくことを願っている。


 ソビエト連邦とアメリカ合衆国は、次に挙げるカテゴリーで勝者か次点のどちらかだ。宇宙開発競争、軍拡競争、牢獄競争、憎悪された邪悪な帝国競争、資源の浪費競争、倒産競争。これらのカテゴリーのいくつかにおいて、アメリカ合衆国は、言うならば、遅咲きで、ライバルが降りた後に新記録を樹立している。両国は、チェルノブイリ原発の大災害が起こるまで、めまいがするほど熱心に、科学、技術、進歩を信じた。その後、オンリー・ワンとなった真の信者が残った。


 米ソ両国は第二次世界大戦後の工業帝国であり、その他の世界に彼らのイデオロギーを押し付けようとした。民主主義と資本主義、対するは社会主義と中央集権的計画経済だ。そして、双方とも首尾は上々だったのだ。アメリカ合衆国が成長と繁栄を大いに楽しんだ一方で、ソビエト連邦は万人の識字率、万人の健康管理、極めて小さな社会的不平等および全市民に対する(低かったものの)生活水準の保証を達成したのだ。国家管理に置かれたメディアは、生活水準がいかに低いかをほとんどの人々が認識しないように配慮して痛みを取り除いていた。女優のシモーヌ・シニョレがソビエト滞在から戻って、「幸せなロシア人たちは自分たちがいかにひどい生活をしているのか知らないのよ」と言ったくらいだ。


 どちらの帝国も、片方のイデオロギーを押し付けて、もう片方のイデオロギーに反対するために、世界のあちこちで、資金供給して、武器を注ぎ込み、血まみれの紛争に直接介入して、いくつかの国々を台無しにした。どちらの超大国も、刑務所に投獄された人口比率の世界記録を樹立して、自国をも台無しにしてしまった。(この点については南アフリカもライバルだ。)ともあれ、このカテゴリーでは、新興の一部民営化された刑務所と産業部門の複合体(奴隷的な賃労働の源)を支援しながら、今やアメリカ合衆国が断トツの成功をおさめている。

 

 アメリカ合衆国はソビエト連邦よりもこれまでは世界中で友好的だと思われてきたが、ソビエト連邦が舞台を去って以来、「邪悪な帝国」としてのギャップは狭まっている。今や、スウェーデンのような西側諸国をも含む世界中の多くの国で、イランや北朝鮮よりもアメリカ合衆国こそが平和に対する大きな脅威だと評されている。憎悪される邪悪な帝国競争では、アメリカ合衆国はチャンピョンの風格を漂わせ始めている。そして、誰も敗者を好まない。敗者が地に堕ちた超大国ならば、尚のことだろう。誰も無惨に消滅したソビエト連邦に同情したりしなかったのだ。しかるに、誰も無様に消滅するアメリカにも同情しないだろう。


 破産レースはとくに興味深いことだ。崩壊に先立って、ソビエト連邦は持続不可能な勢いで対外債務を背負い込んでいった。世界市場での石油価格が安かったこととソビエトの石油生産量がピークに達したことが合わさって、対外債務の運命は覆い隠されていた。後になってソビエト時代の対外債務を引き継いだロシア政府は債務不履行を宣言して、金融危機を招いた。その後、ロシアの金融は改善したが、これは主として石油輸出が伸びた上に石油価格が上昇したことによる。現時点で、ロシアはできるだけ急いでソビエト時代の債務を返済しようと奮闘していて、このところの過去数年にわたっては、ロシアのルーブルは合衆国のドルよりもいくらかよくなっている。


 アメリカ合衆国はと言えば、現在、持続不可能な会計上の赤字、通貨の減価、そしてエネルギー危機に同時に直面している。世界一の債務国となったが、ほとんどの国民がどうすれば債務不履行を避けることができるのかを考えようともしない。多くのアナリストが言うには、これはテクニカルな破産であって、ドル建て資産を保有していて当面その価値を守りたい海外の中央銀行によっててこ入れされている、とのことだ。けれども、この策略は問題を単に先送りすることにしかならない。こういうわけで、ソビエト連邦は先んじて破産した栄誉に値するが、このカテゴリーの金(意図的な語呂合わせ)は、史上最高の債務不履行を帰結して、疑いもなくアメリカ合衆国に渡されることになるだろう。


 他にも多くの類似点がある。合衆国よりも早くロシアでは、教育と労働の権利を女性が手にした。ロシアとアメリカの家庭は共に高い離婚率と多数の庶子に示される悲しい形態にあるが、ロシアでは慢性的な住宅不足が多くの家庭に我慢を強いるので、異なる結果となっている。また、どちらの国も農業地域の慢性的な人口減少を経験している。ロシアでは、家族経営の農地が集産主義化の中で壊滅し、農業生産も減じた。アメリカ合衆国では、他の様々な要因によって田舎の人口について同様の結果を導いたが、農業生産の減少とはならなかった。どちらの国も化石燃料中毒に罹り、持続不可能で生態学的には大失敗と言える工業化された農業ビジネスが家族経営の農業に取って代った。アメリカの農業ビジネスはうまくいっているが、それはエネルギーが安い限りの話であって、今後おそらく、とことんうまくいかなくなるだろう。


 類似点は多すぎて言い尽くすことはできないが、上述したことは重要な真相を知らせるには十分かと思う。そして、これらの類似点が同じ工業技術文明ながらも正反対だとされる、あるいは正反対だとされてきた事柄なのだ。

 

超大国の相違点:民族的背景


 二つの超大国のラフスケッチは、いくつかの相違点の比較を踏まえないならば、完璧とはならないだろう。相違点は類似点同様看過できないことなのだ。


 合衆国は伝統的に人種差別主義者の国であり、誰の身に降り掛かろうとも、ある種の人にはある種の人の娘や妹と結婚したがらない人々の多くのカテゴリーがある。それはアフリカ人奴隷の利用と原住民の根絶に起因する。そういったことが形成された時期に、ヨーロッパ人とアフリカ人、あるいはヨーロッパ人とインディアンとの正式な結婚はなかった。このことはブラジルのようなもう一つのアメリカ大陸の国々と比べて際立ったコントラストを示している。合衆国では今日でも、アングロ・サクソン以外の種族に対する軽蔑的な態度が残っている。政治的な矯正で覆い隠されているが、少なくとも上流社会においてアングロ・サクソンの人々が結婚したりデートしたりするのに実際に選ぶ人が誰かを観察するならば、いくらでも発覚することである。


 ロシアは民族の構成が西のヨーロッパ系から東のアジア系へと徐々に変わる国である。ロシアの巨大な領土問題の解決はロシア人が東方への道のりで出会ったすべての種族との婚姻によって達成された。ロシアの歴史にいて、形成過程のエピソードの一つはモンゴルの侵略であり、それによってロシア人の系譜にアジア人との混血が進んだ。他方、ロシアは西ヨーロッパからも移民をいくらか受け入れた。現在では、ロシアの民族問題は戦闘的な民族マフィアと小規模ながらも数多くの反ユダヤ主義の不面目なエピソードに限られる。何世紀もの間、ロシア社会と私の家族も含むユダヤ人たちはうまくやってきたのが特徴だった。だが、ユダヤ人は一流大学や研究所から締め出されて、他のところでも処遇を受けなくなった。


 合衆国は人種間の緊張という火薬を溜め込んでおり、都市の黒人は郊外の白人から虐げられていると感じ、逆に白人は都市の多くの地域で危険にさらされている恐怖を覚えている。永続的な危機の時代には、都市の黒人たちは暴徒と化して、都市を荒らすかもしれない。なぜならば、黒人たちは都市の所有権を持たないからだ。一方、郊外の白人たちは、ジェームス・クンスラーが言う「森のかわいらしい小屋」から締め出されて、近場のトレーラーハウスの駐車場へと立ち去りそうだ。このような懸念に、すでに拳銃が広く出回っている事実やアメリカ社会とりわけ南部、西部、デトロイトのような終わった工業都市に暴力行為が浸透している事実という爆発性のガスが加われば、どうなるか、だ。


 要するに、崩壊後のアメリカの社会的雰囲気は、崩壊後のロシアほど穏やかで平和である見込みはない。少なくとも方方で民族的に混在しているために、旧ソビエト連邦の中でも貧しい人々が住む地域、たとえばFergana谷のような地域の雰囲気にむしろ似たものになるだろう。もちろん、グルジア共和国のコーカサス地方の「自由の標識」(あるいは合衆国大統領がそう呼ぶところ)に似てくるだろう。
(註:2005年3月のブッシュ大統領の発言)


 生き残りに関心のある者にとって、合衆国の中のどこもに明白な選択肢はないが、ある地域は明らかに際立って危険である。人種あるいは民族間の緊張という歴史を引き摺った地域はおそらく安全ではない。このため、南部と南西部、そして他の地区の多くの大都市は除外される。ある人々は自身と同種の民族的に均質な飛び地に位置する安全な港湾を探すかもしれない。また他の人々は差別のない生活様式や異民族間の婚姻によって民族同志の関係が密になった小さなコミュニティを探すことを勧められるだろう。そういったところでは、多民族社会という不愉快で脆弱な集まりが一致団結する可能性があるかもしれない。

 

超大国の相違点:所有


 もう一つの重要な相違点:ソビエト連邦では誰も住み処を所有していなかった。このことが意味することは、ホームレスを生み出すことなく経済が崩壊することができたということなのだ。およそすべての人々が崩壊前と同じ場所で生活し続けたのである。立ち退きや抵当物受け戻し権喪失手続はなかったのだ。誰もが住み処を追われなかった。そして、このことが社会の瓦解を妨げたのだ。


 さらなる相違点:人々が住み続けた場所は一般に、最悪の時期にも操業し続けた公共交通手段によってアクセス可能だった。ソビエト時代の開発のほとんどは中央で計画されたが、中央の計画立案者はスプロール化を好まなかった。というのは、サービスを提供するのがあまりに困難で費用が嵩むからだ。ほとんどの人々は自動車を所有してなかった。あちこち出掛けるのに車を使う人はとても希だった。最悪のガソリン不足さえもほとんどの人々にはわずかばかりの不都合をもたらしただけだった。春先に都市部からダーチャに植え付け用の苗木を運び、秋に収穫を都市に持ち帰る際には、たしかに困った。

 

超大国の相違点:労働についての概略


 労働力について言えば、ソビエト連邦は完全に自給できていた。崩壊の前にも後にも、熟練労働は、石油のほか、武器、産業機械など主要な輸出品を供した。だが、合衆国はそうではない。合衆国では製造業のほとんどが海外で行われるだけでなく、国内の多くのサービスもまた移民によって提供されている。このことは、農業、造園、オフィスの清掃から、エンジニアリングや医療分野のような専門職まですべてにわたっており、移民の労働なしには社会も社会インフラも破綻してしまうだろう。このような移民のほとんどはより生活水準を満喫するために合衆国にやってきた。つまり、アメリカが素晴らしいところである限り、という話なのだ。つまり、移民の多くはやがて帰国し、社会構造に穴が空くことになるだろう。


 私は合衆国のいくつかの企業を内側から観察する機会に恵まれ、スタッフの構成にある規則性を見いだしている。上層部には、高給取りで年長の大食漢のグループがある。彼らはすべての時間を大なり小なり様々なやり方で楽しく過ごしている。彼らは往々にして技術的四方山話や相対論的豆の計数のような学問分野の高い学位を取得している。彼らはお金の問題に取り憑かれており、たとえ彼らが炭坑労働者の子どもだったとしても、上品な郊外育ちの雰囲気を醸し出している。彼らに技術的な問題を依頼するならば、好機とばかりに自嘲的なジョークを一つ二つ交えて機知をひけらかしながら、彼らは丁重に断ることだろう。


 いくらか下の階層が実際に働く人々なのだ。彼らは社会上のたしなみやコミュニケーション能力が乏しい傾向がある。だが、彼らこそ仕事のやり方を知っている。彼らの中に技術的な革新者がおり、彼らこそが企業の存在価値を供しているわけだ。


 たいてい上層部の年長の大食漢は生粋のアメリカ人で、たいてい下層の人々は一時滞在の外国人か移民である。こういう人々には様々な事情があり、仕事するか帰国するかを選ぶことを強いられている就労ビザの入国者から、永住権の取得を待っていて物事に最善を尽くさねばならない人々、永住権を持つ者、市民まで様々だ。


 上層部の生粋のアメリカ人はいつも仕事の説明の標準化に努めている。彼らは、最下層の移民を競わせて、支払いを安く抑えようとしている。と同時に、自分自身の能力を労働市場で容易に手に入るスキルだとは言わせない、一匹狼の優れた起業家として自らを描き出すことに余念がないのだ。これとは反対の話もある。生粋のアメリカ人が労働市場の商品になって、彼らの仕事がバイオテクノロジーか塩漬けの魚だろうと類似の職務を遂行するわけだ。そういったところで働く人々は無比のスペシャリストで、これまでなされたことのないことに取り組んでいる。


 このような状況が生じていることは不思議でもなんでもない。過去数世代、生粋のアメリカ人は法曹界、報道機関、企業経営のような分野を好んできたが、移民や外国人は自然科学や工学を選ぶ傾向があった。彼らは生涯にわたって、アメリカ人は終わりなき繁栄を期待するように言われてきたので、豊かな社会という織物の単なる刺繍とでもいうべき職業に就くことに安堵したわけだ。


 このプロセスは「頭脳流出」として知られるようになった。アメリカは外国から才能ある人々を引っこ抜き、有利になり、そして不利になりつつある。知能の高い人々の流れが逆流しそうなのだ。彼らは経済的苦境に対処する方策を見出せない合衆国を見捨てそうなのだ。このことが意味することはこういうことだ。鉄道事業の復活や再生可能エネルギーのような技術革新や開発事業として多分に見込みのある領域であっても、アメリカでは、その事業の実現に必要な人材が不在だと気づくことになるかもしれない。

 

超大国の相違点:宗教


 ソビエト連邦と合衆国がひどく食い違っていることとして言及する価値のある最後の重要な点は、宗教に関する違いだ。


 革命前のロシアの頭の二つある鷲は王室と教会を象徴しており、一つの頭には王冠、もう一つには法冠が描かれていた。図像学や修道院の伝統といったいくらか神聖な表現に加えて、ロシアの教会は、富と誇示にうぬぼれて、圧政的なものとして、つまり教会が権力の正当化を助ける君主制において存在した。だが、20世紀のロシアは、きっぱりと世俗的な方法で発展を管理して、強制的な無神論で敬虔な人々を迫害した。


 合衆国は、西側の国としては珍しく、相当に信仰心の厚い地域であり続けて、ほとんどの人々が教会、シナゴーグまたはモスクで神を探し求めている。英国国教会を去って、早熟にも東部13州の英国植民地へと転居したことが文化発展において合衆国を時代遅れにしたように思われる。この時代遅れは、非宗教的倫理に対しては気乗りしない容認という大きな問題に加えて、メートル法を理解できないこと(これはイングランドではほぼ解決した問題)、また、国旗への病的執着を示す18世紀的傾向といった些事において明らかである。


 この相違点が経済崩壊の文脈で意味することは、驚くなかれ、何もないに等しい。おそらくアメリカ人は聖書を引用し始め、黙示録、終末論、そしてハルマゲドンの直前に救済された人の昇天、と続けることだろう。こういった思想は、言うまでもなく、サバイバルには助けにならない。だが、おそらく無神論者のロシア人はソビエト崩壊時、世界の終わりに近づいたと思い、確信と慰みを求めて新たに開かれた教会に集まった。


 おそらくより大きな相違点は、宗教の流行と欠如の間にはなく、主要な宗教の中身の違いにこそある。ロシアのギリシア正教会の建築における誇示、およびものものしい行列と儀式にもかかわらず、そのメッセージはいつも魂の救済への道といった禁欲主義のものである。魂の救済は貧民のためのものである。というのも、その恩寵は現世または来世にあり、その両方ではないからだ。


 このことは、アメリカで最大信者を誇るプロテスタンティズムとは異なる。プロテスタンティズムは、富裕な人々は救われないという趣旨でキリストによって強調された不都合な点を無視して、神の恩寵として富を考える劇的な変遷を遂げた宗教である。
(註:マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照のこと)逆に、貧困は怠惰や悪行に関連づけられ、貧しい人々の威厳を奪っているのだ。


 そういうわけだから、ロシア人は、神の恩寵を失って突然貧困に陥るとか、神が人々への懲罰として経済崩壊をもたらすとは考えたりしないが、アメリカを席巻する宗教は、つまりプロテスタンティズム、ユダヤ教、イスラムはすべて、神の信者への好意の証しとして信者の一時的成功を呼び物にしている。信者に対する神の善意がもはや覚束なくなるとしたならば、どうなってしまうのだろうか?ひょっとすると、彼らは怒り、非難の矛先を見つけようとするのではないか。それが人間心理の中心的なメカニズムというものだろう。私たちは、突如激怒した神の御業に熱心な怒れる群衆をこそ予期しておくべきだろう。


 宗教心の強さについて言えば、合衆国はどこでもまったく同じというわけではない。生き残るための住み処を探すときには、宗教熱が極端ではない場所を探すことは賢明なことだろう。

 

テクノロジーによる快適さの喪失


 注意:私が言わんとすることは、いくらか不愉快なことかもしれないが、その問題に対処したいわけである。20世紀の技術発展のほとんどが快適至便を供してきた。それはまた地球温暖化、オゾン・ホール、植物、魚類、鳥類、ほ乳類の大量絶滅をもたらした原因でもある。しばらくの間いくらかより快適であろうとした結果がこれなのだ。


 私たちはみな、暖房と冷房、お湯と冷たい水、安定した電力、個人所有の移動手段、舗装された道路、照明が施された通りや駐車場、高速通信のインターネットといったものを当たり前のことだと思っている。そこで、これらすべてを手放さねばならないとしたらどうだろうか?もっと正確に問えば、それらすべてを手放さなければならなくなったならば、あなたは何をするだろうか?


 私たちの先祖のほとんどは、私たちにはぞっとするような不快な状況に我慢していた。温水はなかった。水洗トイレではなく、屋外便所だった。セントラル・ヒーティングもなかった。出掛けるための主な手段は自身の二本の足、あるいは馬だった。それでも彼らは、私たちがどうにか真似をして失わないように尽力している文明や文化をつくり出したのだ。


 公共サービスを悪化させるほどの危機ではなく、どうにか切り抜けられる危機がある。経済危機、金融危機、あるいは政治における危機さえ、そうだ。シベリアのはるか彼方にあるプリモリエの統治者を考えてみよう。彼は冬用の石炭を買うためのお金をすべて盗んだ。プリモリエは凍結する。およそ華氏40度(註:摂氏4.4度)を下回る冬の気温で、そんなところにまだ暮らしている人がいることは驚きだが、このことは人間の強さの証拠でもある。経済状況が悪化すると、場所に関係なく、ある順序で事件が展開すると考えられる。その出来事はいつも同じ結果に至る。それは非衛生的な生活環境だ。だが、エネルギー危機ばかりは人々にとって宝のように大切な公共サービスを台無しにしてしまうという点で、最も効き目の大きな災難だと考えられる。


 先ず、停電が頻発し始める。やがて、停電は周期的なものになって慣れてくる。ロシアの周辺地域だけでなく、グルジア、ブルガリア、ルーマニアのような国々も数年間にわたって時折一日に二、三時間ほどの電力供給という状況に甘んじなければならなくなった。北朝鮮はおそらく最も優秀なソビエトの弟子で、何年もの間電気をたくさん使うことなく生き残っている。
(註:”North Korea is generally not seen as a success story, but it too may be able to offer a few useful lessons on surviving superpower collapses.” http://cluborlov.blogspot.jp/2010/11/korea-fate-of-cold-war-vestige.html太陽が沈み始めるにつれて照明が明滅する。二、三時間ほど発電機が奮闘して、電球やテレビ、ラジオに電力を供給する。就寝時間になると、明かりは再び消える。


 次に懸念されることは、暖をとることだ。毎年、熱の源が遅れがちになって、すぐに止まるようになる。電気があるときには、人々はテレビを見たり、ラジオを聴いたりするが、なければ毛布を被って座っているだけだ。身を寄せ合って体温を分け合うことは氷河期の人類にも好まれた生存戦略だった。人々は少ししか暖をとれなくなることにも慣れて、やがて不平を言わなくなる。比較的繁栄していた時代でも、サンクトペテルブルクの集合住宅では、冬の最も寒い時期でさえ暖房が1日おきだった。厚手のセーターとダウン・ジャケットが石炭の入ったバケツを失った代わりに用いられた。


 三番目に失われるのは温水だ。シャワーが冷たくなる。冷たいシャワーにならない限り、あなたはシャワーがもたらす贅沢のありがたさがわからないだろう。物好きな方は、大急ぎでシャワーをするだろう。体を濡らして、石鹸の泡を立て、すすぎ落とし、タオルで拭いて、着替え、毛布にくるまって震える。身を寄せ合って暖を取ることを忘れないようにしよう。いくらかましな方法は、ストーブで暖めた温水の入ったバケツの中で体を洗うことだ。体を濡らして、石鹸、すすぎ。やはり、ぶるぶるっと震えることを忘れないようにしよう。


 さらに、水道の水圧が低下する。人々はより少ない水で洗い物をすることを学習するようになる。バケツやプラスチック容器を持って水くみに走り回るだろう。最悪のことは水道水の不足ではなく、トイレが流れなくなることである。人々が教化されていて、しつけが行き届いているならば、何をしなければならないか認識するだろう。バケツに排泄物を集めて、それを下水管の導入口まで手で運ぶことになるのだ。すばらしく啓蒙された人ならば、屋外トイレを設置して、堆肥作りにトイレを活用して、家庭菜園を肥沃にするだろう。


 こういった状況下では、回避すべき死に至る三つの原因がある。一つ目には、凍死を避けること。冬にさえキャンプに行けるくらいの準備をしておくことだ。だが、これは極めて簡単な問題だ。次に老人を経由した人類最悪の連れ、すなわちトコジラミ、ノミ、シラミを避けることだ。これらは風呂に入っていない人々が寄り添っているところならどこでも必ず姿を現して、数百万の命を奪っているチフスのような病気を広める。熱い風呂と衣服を着替えることが命を救い得るわけだ。かくして髪の毛のない容貌がファッショナブルになる。オーブンで衣服を加熱すれば、シラミとその卵は死滅する。最後に、飲料水はすべて煮沸して、排泄物を経由して広がるコレラと他の病気を避けることだ。


 私たちが当たり前に思っている快適さを供する産物がきわめて希なものになると想定しておいて間違いはない。だが、ろうそくの火で読書したり、寒い数ヶ月の間には着込んだり、水の入ったバケツを持って走り回ったり、ぬるま湯のバケツの中に入って震えたり、バケツに溜まったうんちを運び出したり、わずかばかりの恥辱に耐えた暁には、何ものも私たちの先祖に匹敵する文明のレベルを維持することを止めたりするほどの脅威ではない。思うに、先祖たちの文明は私たちの今後の文明よりもより劣悪なものだっただろう。彼らは、諸個人の気質や国民性を保ちながら、その文明のレベルについて意気消沈もすれば意気揚々ともなったにちがいないが、ともあれ、ご先祖様は明らかに生き残ったのだ。そうでなかったならば、あなたが本稿を読むことはなかっただろう。

 

経済面の比較


 アメリカ経済はとてもよいかとても悪いかどちらかだと言われる。プラスの面を見れば、利益を確保するために、あるいは少なくともビジネスを続けるために、企業はスリム化して、人員削減がなされる。また、不適格企業を排除する破産法や生産性を向上させるための競争がある。商売は在庫を抑えるためにジャスト・イン・タイム・デリバリー方式を採用しており、グローバル経済の中での操業におけるロジスティクスをうまく達成するためにITを相当に駆使している。


 マイナスの面を見るならば、アメリカ経済はますます大きくなるばかりの構造的な赤字を出している。他の先進国の人々が当たり前だと考える経済の安定を人口の多くに提供することには、失敗している。他の多くの国々よりも医療および教育分野に多く支出しているが、そのための歳入はより少ない。単一の政府所有の航空会社を持つ代わりに、永久に破綻した政府支援を受ける航空会社がいくつもある。司法の強制にかなり費やして、高い犯罪率を有する。高賃金の製造業の労働を輸出し、それらを低賃金のサービス労働に置き換え続けている。前述したように、テクニカル的に破産しているのだ。


 昔のソ連でも北アメリカでも、景観は大規模な中央による醜悪化計画の犠牲になっている。モスクワの中央の計画立案者は、同一のくすんだ茶色で魂の抜けた建物を領土中に建て、地域ごとの建築に見られる伝統には注意を払わず、地域の文化を消してしまった。アメリカの土地開発業者は相多分に同じような役割を担っており、同じくぞっとするような成果を上げている。いわゆるGenerica合衆国であり、多くの場所が高速道路の標識を読むことによってのみ区別され得るような有様だ。


 北アメリカでは、大陸中に荒廃を広げている子供じみた愚かな状態の浸透がみられる。交通運輸部門のエンジニアの非常に愚かな状態のことだ。ジェーン・ジェイコブが巧みに例証したように、問題を解いて、証拠にもとづいた結論を引き出すようなエンジニアはいないが、「おもちゃの自動車を持って「ズーン、ズーーン、ズーーーン」とぶつぶつ言う子ども」(Dark Age Ahead, p.79)がいるということだ。彼らを喜ばせる景観は、人々を車の中に閉じ込めて、無駄に車を運転させて、できるだけ多くの燃料を浪費するようにデザインされている。


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 ソビエト経済もまたとてもよいかとても悪いかどちらかだと言われた。プラスの面を見れば、ソビエト・システムは、その多くの欠陥にもかかわらず、貧困、栄養失調、多くの疾病、読み書きのできないことといった極端な状態の根絶に取り組んでいた。そして、極端な類における経済的安定を供したのだ。誰もがいくら稼いでいるかを正確に知っていたし、日用品の価格は固定されていた。住宅、保健医療、教育、年金すべてが保証されていた。質は様々だった。教育は一般にすばらしく、住宅事情はさほどでもない。ソビエトの医療は「世界でもっとも安く受けられる医療」と言われ、個人的な取り決めでのみ施術可能な合理的なサービスも受けられた。


 マイナスの面を見れば、中央で計画されたビヒモス(註:ヨブ記に出てくる巨獣、巨大で力があり危険なものの意)は極めて非効率で、すべてのレベルで大きな損失と完全なる浪費を伴った。流通システムはあまりにも融通が利かず、企業は在庫を積み増した。資本財の生産には秀でていたが、中央の計画が供し得る以上の柔軟性を必要とする消費財の生産については、失敗した。ソビエトはまた食糧生産においてもひどく失敗し、多くの基本的な食材の輸入に頼らざるをえなくなった。(註:1973年締結の米ソ農業協力協定でソ連は日本を凌ぐ穀物輸入国になった)巨大な軍隊と政界の帝国を経営していたが、逆説的に、帝国から経済的利益を引き出すことに失敗して、正味赤字の企業体を経営していたことになる。


 これまた逆説的だが、これらの失敗と非効率こそがソフト・ランディングを成し遂げることになった。国営企業は破産する仕組みがなかったために、国営企業は、給与を抑えて、生産規模を小さくして、いくらか低いレベルで操業し続けた。これによって、即時大量解雇や完全閉業の数が抑えられた。だが、解雇が起こるや、45から55歳男性の死亡率が上昇した。その年齢の男性は、職業の突然の喪失にもっとも脆いことが心理学的にわかっており、彼らは死ぬほど酒を飲んだり、自殺したりしたのだ。


 人々は、老朽化して半ば休業状態となった雇用の場を様々な事業の基地として利用することができ、闇市場ビジネスのようなものを営むところから始めて、徐々に私企業へと転換させていった。非効率な流通システムと、それゆえに生じた買い溜めは、とても大きな在庫をもたらしていたが、それらは物々交換に供されたることになった。いくつかの企業はこのような様式で操業し続けて、過去の遺物たる在庫を他の企業と物々交換しながら、従業員が使ったり売ったりできる何かを従業員に与えた。


 このような話から、崩壊後の合衆国の雇用に関して、どのような対比を引き出せるだろうか?公的部門の雇用は仕事を持ち続ける点でいくらか恵まれているかもしれない。たとえば、すべての学校や大学が一斉に教員・教授陣や事務職員を解雇するようなことなないだろう。彼らの給与が生活するには十分でなくなることは起こり得るだろうが、しばらくの間は、彼らは社会的なニッチを保つことができるかもしれない。また、資産および施設の管理はおそらく安全な賭けの対象で、資産が価値あるものと考えられている限り、管理されることが必要とされるだろう。資産がダメになって手放す時代が来るや、資産が無傷なら助けになるだろう。もちろん、人がその鍵を握っている。

 

合衆国における経済崩壊


 自発的なソフト・ランディングは合衆国では起こらないだろう。合衆国では、巨大企業は重役の決定で店じまいでき、全従業員を解雇して、資本となる設備や在庫を売却できる。多くの場合、設備はリースであり、在庫はジャスト・イン・タイム方式ゆえにとても少ない。したがって、実質的に一夜にしてビジネスを畳むことが可能だ。だが、多くの重役たちが同じような経済活動について調査して、同様の解釈をして、彼らの損失をすべて一度に切り捨てることを決定するかもしれないので、コミュニティへの影響は壊滅的にもなり得る。


 合衆国の多くの人々は、収入なしでは長期間生きることができないだろう。こういう指摘はある種の人々には奇妙に思えるかもしれない。誰がどこで収入なしでどうやって生きることができるというのか?だが、崩壊直後のロシアでは、賃貸料や公共料金を払わなかったとしても、ほかの誰もそれらを払っていなかったわけであり、また、自身の食料を自分で育てて収穫していたならば、そして、助けてくれる友人や親戚がいたならば、収入は生き残るための前提条件などではなかった。とにもかくにも、ほとんどの人々はどうにか暮らしたのだ。


 だが、合衆国のほとんどの人々は、預金が底を尽きるや、やがて自動車の中か人里離れた森の茂みでのテント生活を強いられる。目下、家主が借金漬けの借家人を立ち退かせない仕組みや、銀行に不良債権を抵当流れ処分にさせないことを説得する仕組みはない。賃貸料管理の大規模な導入は政治的に起こりそうもない。多くの住宅および商業施設の不動産が空いて、法の執行が緩むかなくなるならば、不法占拠が真の可能性を帯びてくる。無断で住むと通常、郵便や他のサービスを受けることが困難だが、それは些細な問題である。より重要なことは、人々が再三再四追い払われるということなのだ。

 

ホームレス


 「loitering:犯意を持った徘徊」という言葉は、ロシア語には翻訳されない。それに近い言葉は、公然と「うろつく」とか「ぶらぶらする」といった感じだろうか。これは重要なことだ。なぜならば、人が通勤先をなくしたならば、彼に与えられている二つの選択肢は、家にいるか、もしくはいわゆるloiteringということになるからだ。loiteringが違法行為ならば、家にいることだけが唯一の選択肢になる。


 合衆国とソ連は、公私の連続性の二極に位置する。ソ連では、ほとんどの土地が公に開放されていた。アパートでさえ共同だったので、寝室は私的空間だが、台所、風呂、廊下は公共空間を意味した。合衆国では、ほとんどの土地が個人に所有され、侵入者を撃退する旨の警告を掲げている者もいる。ほとんどの公共空間も実際には私的に使われており、「Customers Only」や 「No Loitering」と書かれている。公園とは言うものの、夜になると「閉園」となり、そこで夜を過ごそうとする者はしばしば警察に「移動しろ」と言われる始末だ。


 崩壊後、ロシアにはBOMZhと記された階級の人々が溢れた。これは"BOMZh i Z"を縮めたもので、「住所不定または無職の人」を意味する。bomzhiesと呼ばれた人々はしばしば都市や田舎の使われていないところに住み着いていた。誰も彼らに「移動しろ」とは言わず、彼らは平和なまま放っておかれた。このような明確ではない住居地はbomzhatnikと呼ばれた。英語でそれにあたる言葉が必要とされる。おそらそれは「bum garden(浮浪者の広場)」と呼ばれるだろう。「オフィスパーク」がパークと呼ばれるのと同じように、それはガーデンなのだ。


 合衆国の経済が崩壊するとき、人は就業率の低下について考えるだろう。と同時に、居住割合の低下を予期するだろう。結果として、合衆国人口のどの程度の割合がホームレスになるかを見積もることは困難だ。だが、それは極めて高い割合になり、おそらく恥辱でもなくなるくらいにありふれたことになるだろう。資産価値を保つために、ほとんどの地域が収入の乏しい人々を排除する構造になっている国というのは、浮浪者には快適な場所ではない。とはいえ、資産価値ゼロに向かって下落し始めるや、政治的意志も働かないまま不可抗力で不動産のいくつかが自ずと「浮浪者の広場」へと地域区分を変更することを垣間見ることになるかもしれない。


 私は、ロシア人浮浪者はよい時を過ごした、と言いたいのではない。私が伝えたいことは、ロシア人たちは経済の崩壊にもかかわらず、住み処を追われることはなく、全人口に占めるbomzhiesの割合は決して二桁には届かなかった、ということなのだ。もっとも不幸なケースは短命のひどい生活となり、しばしばアルコール中毒を患い、ロシアにおける崩壊後の死亡数の急激な増加の多くを説明するものであった。彼らのうちのある者は難民化した。新たに独立した民族主義の共和国から民族浄化の対象とされたロシア人である。彼らはロシアの慢性的な住宅不足のためにロシアに容易には再吸収されなかったのだ。

 

共同社会の生き残り


 ロシアの慢性的な住宅不足は部分的にはロシア農業の衰退に起因した。農業の衰退が人々の都市への移住を余儀なくしたからだ。また、単純に政府が十分にはやく建造物を造れないということにも起因していた。政府が建てたかったのはいつもアパートだった。5階建て、9階建て、14階建てのタワーだった。建物は空き地や立ち退きでできた土地に建てられ、たいてい不毛の土地に取り囲まれていた。そんな土地は、小さな都市や町にあり、一年中凍結しない土壌、あるいは近くの工場から出た硫黄や煤で覆われた地域だったが、家庭菜園への転換がすぐに進んだ。


 建物の質はと言えば、いつもみすぼらしく見えたが、構造はしっかりしており、使い勝手もよかった。たいてい、厚いコンクリートの強固な造りで、外壁にはタイルが貼られ、内側の仕切りには硬い漆喰が使われた。暖房費は安く、中央管理の巨大なボイラーから全世帯に供給される蒸気によって、少なくとも水道管が凍結しないくらいに十分な暖を確保できた。


 ソビエト時代のアパート区画のもっとも古めかしいものは、建造を発注したフルシチョフと"trushcheby"(「スラム」を意味するロシア語)をもじって"Khrushcheby"と呼ばれ、今にも壊れそうだ、としばしば耳にする。だが、それらはまだ崩壊していない。確かに、それらはじめじめしてもの寂しく、アパートは窮屈で、壁にはひびが入って、屋根は雨漏りするし、玄関と吹き抜けは暗くて小便臭い。だが、それでも住宅なのだ。


 アパートを手に入れるのは難しく、順番待ちは何十年にも及ぶために、数世代が同居していた。これはしばしば生活する上で不愉快で、ストレスになり、トラウマにさえなった。だが、生活はとても安上がりになった。両親が働いている間、祖父母がしばしば育児を担った。経済が崩壊したとき、夏の間に菜園へと足繁く通い、食材を栽培したのは祖父母たちであった。労働年齢にあたる人々は闇市で試行錯誤していた。その協同の結果、ある者は幸運に恵まれて豊かになり、またある者には厳しい時期となった。ともあれ、多くの人々が同居生活していたことで、予期せぬ収入面の片寄りをある程度補い合って安定する結果となった。


 興味深い逆転現象も起こった。崩壊前には、親がしばしば大きな子供に経済的援助をする立場にあったが、その反対のことが起こった。子供をもたない老人は、扶養すべき子供を持つ人よりも、はるかに貧しく暮らすことになったのだ。ひとたび金融資本が吹き飛ぶと、人的資本がものを言うというわけだ。


 ロシアと合衆国の大きな違いに、ロシア人はふつう、世界中のほとんどの人々同様、生涯にわたり定住生活を送るが、アメリカ人は絶えず移住するということが挙げられる。したがって、ロシア人はたいてい、近隣のほとんどの人と旧知の仲であるか、あるいは少なくとも顔見知りである。経済が崩壊すると、誰もが不慣れな状況に立ち向かわねばならなくなる。少なくともロシア人はまるで知らない者ばかりからなる会社の中で危機に立ち向かう必要はなかった。一方、アメリカ人は、少なくとも余裕があるうちは、ロシア人よりもはるかに見知らぬ人々に対して寛容ではある。


 ロシア人にとって幸いしたもう一つの要素は、ロシア文化の特徴にあった。ソビエト時代の経済において、お金は特に有用なものではなく、地位や成功の証しでもなかったので、お金はとくに貴重なものとはされず、むしろ自由に分配された。そして、万が一の困った時には、友達ほど互いの為になる掛け替えのない人はいないと考えられた。誰もがいくらかお金を持っていて、ある人が他の人より突出していないかったことも重要だった。市場経済化とともに、この文化的な特徴は消失したが、この特徴は十分長い間持続し、移行期を生き残る上で人々の助けとなった。

 

バラの香りを楽しむこと


 文化に関するもう一つの覚え書き。経済が崩壊すると、概してすることながなくなる。生まれつきの怠け者にはよいが、忙しくしていなければいられない者にとっては辛い時期となる。ソビエト時代の文化は二つのタイプの活動の機会があった。一つはノーマルな活動で、それは一般に汗をかくことを避けることを意味する。もう一つは英雄的活動である。ノーマルな活動が期待され、そして期待以上に一生懸命応えるいかなる理由もなかった。実際のところ、がんばりすぎは「集団」あるいは一般大衆からしかめつらされる傾向があった。英雄的な活動は誉め称えられはしたが、必ずしも金銭的に報われなかった。


 ロシア人は、アメリカ人の「よく働き、よく遊ぶ」という強迫観念にひどく困惑してしまう傾向がある。「経歴」という言葉は、ソビエト時代には、貪欲で破廉恥で野心的な「出世第一主義者」の属性という軽蔑的なニュアンスの言葉だった。「成功」や「到達」という言葉も個人レベルに使われることは極めて希だった。というのは、それらの言葉は傲慢で仰仰しく思われたからだ。それらの言葉はソビエトの人々の偉大な成功についての大げさな公の宣言のためにしまっておかれたのだ。もちろん、積極的な個人の気質がなかったわけではない。個人レベルでは、才能、専門的技術、礼儀正しさ、ときには創造性に対して敬意が払われた。だが、「よく働く人」は、ロシア人には、多分に「バカ」のように思われていた。


 崩壊した経済は、迅速丁寧なサービスに慣れた人にはとりわけ厄介だ。ソビエト連邦では、ほとんどの役所のサービスは粗雑で遅く、長い列が出来ていた。ほとんどの製品は品不足で、並んでも手に入らなかったので、blatと呼ばれる営みが必要とされた。blatとは、特別な非公式の入手方法ないし好意によるものだった。個人的な好意にもとづく交換は、貨幣を介した交換よりも経済を実際に機能させる上ではるかに重要だった。ロシア人にとって、blatはほとんど神聖な行為といってよいほどで、社会を一体に保つ文化の活力であった。それはまた崩壊に対する耐性を有する経済の唯一の側面であり、それ自体が価値ある文化的適応である。


 ほとんどのアメリカ人は、共産主義の話を聞いているが、それがあくまでソビエト型システムについて適切に述べられたものであって、中央で計画を練るエリート主義者の官僚によって営まれている福祉国家や巨大な産業帝国には特に共産主義的な要素は何もないかのように機械的に信じ込んでいる。だが、彼らのうちのほとんどは、ソビエトの暮らしを支配した真に効力ある「イズム」について聴いたことはないようだ。それはDofenismというものであり、およそ「構わないこと」とでも訳せるだろうか。多くの人々が、そして1980年代の「経済の停滞期」にはなるとますます多くの人々が、システムに対する軽蔑以外の何も感じなくなり、仕事もなく、それでも人々はどうにか過ごさねばならなくなって(夜の警備員や炉のかまたきが高学歴の人々の間でも人気の職業となった)、友人、読書、あるいは自然から楽しみを得るようになった。


 このような傾向は、社会からの脱落者のように思えるかもしれないが、崩壊が差し迫ったときには、精神的防衛手段として機能する。崩壊後の環境でアイデンティティの喪失と回復のプロセスに苦悶しながら進む代わりに、人は事態の展開を単に傍観することができたのだ。あなたが現在何らかの世界の「有力者」ならば、崩壊はあなたにショックをもたらし、満足いくように事を起こせるようになるまでに長い時間、おそらくは永遠の時間を要するだろう。だが、あなたの現在の仕事が植物を熱心に観察することならば、崩壊後、役に立たないものを取り除くような有益な営みに心置きなく従事できるだろう。


 すべてを成り行きにまかせる能力、後悔したり不満を募らせたりすることを絶つことができる能力、緊急時の優先事項にのみ注意を集中できる能力、死についてあまり悩まない能力、要するに、足を止めてバラの香りを楽しめる能力はおそらく、崩壊後のサバイバルにおいてもっとも不可欠な能力である。もっとも精神的にずたずたになるのは、たいてい一家の稼ぎ手である中年男性である。彼らは、実入りが悪くなると、敗北感を感じる。もしも彼らが病気になっていないなら、放っておくことが最善の治療だ。昔はどうで今はどうかと感傷的なノスタルジアに耽るのもいい、やがてもはや昔とは違い、はっきりと、すっかり過ぎたことだとわかるだろう。

 

資産剥奪


 崩壊後のロシア経済はしばらく資産剥奪という見境のないビジネスに占拠されていた。これをアメリカの環境で考えてみよう。郊外の分譲地まるごと、あなたが所有権を有している、あるいは取得する権利を妨げられていないとしよう。そこは、公共交通手段でも私的交通手段でも、もはや近づくことができなくなり、あまりにも遠いので自転車で行くこともできないところだとする。買い物をする近場のショッピングモールもなく、雇われ人の通勤客向けに宅地開発して集合物件とする計画が不適当になってしまったとしよう。抵当権が行使されて、不動産が取り戻された後、窓に板張りをして、老朽するにまかせる以外に、さらにすべきことは何だろう。あなたがすべきことは、価値がありそうなものや再利用可能なものを取り出して、その物資を売るか貯えるかすることだ。通りや壁から銅を引き抜く。歩道の緑石や電柱を集める。ビニル製の羽目板を分解する。ガラス繊維の断熱材を引き抜く。流し台や窓は、新品が製造されなくなれば、明らかに他のどこかで使い途がみつかるだろう。


 多くの景観の消失が突然の驚きになり得るだろう。ある夏のこと、私はサンクトペテルブルクに赴任した。私が出かけている間にその地には新種の天災が降りかかったのだ。不思議なことに、おびただしい数のマンホールの蓋が消えたのだ。マンホールの蓋がどこに行ったのか、また、マンホールの蓋を撤去して誰が儲けたのか、誰も知らなかった。一つの推測は、何ヶ月も給与が未払いとなった自治体職員が家に持ち帰って、給与が支払われたら元に戻す、というものだった。この理論が奏功したからなのか、マンホールの蓋はついには再び現れた。というのも、街中のいたるところでマンホールが自動車にはアリクイの罠のようになってしまい、ゆっくり注意深く運転するか、衝撃吸収装置に命を預けて高速で通り過ぎるかの選択を余儀なくしたからだ。


 崩壊後のロシアの住宅は無傷のままだったが、異なるタイプの資産剥奪が加熱した。売れ残りの在庫だけでなく、工場が丸ごと剥奪されて、輸出されたのだ。民営化を装ってロシアで横行したことは、また別の論文のテーマだが、それが「民営化」、「清算」、「窃盗」、どのように呼ばれるかは問題ではない。価値のなさそうなものの所有権を有する人々がそれから価値を抽出する方法を見つけて、さらに無価値にすることさえある。放棄された郊外の分譲地は宅地としては価値がないかもしれないが、毒性の廃棄物の処分場として価値をもつかもしれないのだ。


 地球上でもっとも石油漬けの国において経済が崩壊しかかっているからといって、他のどこでも事態が悪くなるということを意味するわけではない。ソビエトの例が示しているように、国全体が売りに出されるならば、買い手がどこからともなく現れて、木枠に詰め込んで運び去るだろう。彼らは、家具、事務機器、美術品、骨董品、何でも輸出するだろう。産業活動の最後の残り物はたいてい鉄屑ビジネスである。成熟した旧工業国から抽出され得る鉄の量は天井知らずだと思えるほどだろう。

 

食糧


 ソビエトの農業は御粗末だったが、そのことが皮肉にも家庭菜園にもとづく経済の涵養に資する結果となり、ロシア人たちが崩壊過程を生き延びる上でも助けとなった。ある時点では、農地の10%が私的な農業用区画に割り振られ、食料の90%を生産していたと非公式ながら知られるようになった。つまり、ソビエト型の指揮管理による産業化した農業の不備を遙かに凌いでいたわけで、公然の事実として暗示していることがあった。農業は小規模の手仕事として実施されると、はるかに効率的である、ということだ。


 ロシア人たちはずっと彼ら自身の食糧を育ててきたが、60・70年代のもっとも繁栄していた時代においてさえも、政府の食品店に高品質の生産物が不足していたために、家庭菜園の伝統が維持された。崩壊後、家庭菜園は命の恵みとなった。多くのロシア人が伝統的様式や試行錯誤あるいは怠惰な手法によって実践したことは、新しい有機農法であり、パーマカルチャー技術に類似した手法であった。ロシアの多くの生産区画はハーブ、野菜、花々が野生の多様さで育っていて豊富に見える。


 ロシアの森はもう一つの重要な食糧庫である。ロシア人は食用となるキノコや果実をたくさん知っていて食している。秋のキノコの最盛期には森はキノコ狩りで賑わう。キノコはピクルスや乾物にして保存されて、冬中間に合う。

 

気晴らしの薬物利用


 ロシア人とアメリカ人のむしろ著しく似通っている点は自己流の民間医療への傾倒である。ロシア人は伝統的にウォッカの求道に一意専心しているが、アメリカ人ならばおそらくカンナビスだ。コカインもまた麻薬としてアメリカ人の文化に大きな影響を及ぼしている。だが、違いもある。ロシア人は一人では飲酒したがらないが、人前での飲酒や酒酔いを気にしない。酔っ払うことは、ロシア人にとっては神聖な権利であるが、アメリカ人には罪深い楽しみである。不幸なアメリカ人の多くは飲酒運転せざるをえない環境にあるが、このことは、酒を飲む本人だけでなく、他のドライバーや歩行者をも幸せにはしない。


 ロシア人は人前でも猛烈に酔っ払って、愛国的な歌をうたいながらよろよろ歩いて、雪が降り積もった道に倒れて、凍死するかトラ箱に運ばれる。こういうことは何ら生産的ではないが、酔っ払いに自責の念さえも育まないのである。H. L. Menckenの著作によれば、アメリカもまた昔は幸せな酔っ払いの国だった。訴訟の始まりには法廷でウィスキーのボトルが順々に回されて、後で酔っ払った陪審員が酔ったあげくの評決を下していたが、禁酒法がすべてを廃止に追い込んだそうだ。ロシアの禁酒法は、ゴルバチョフが国を守ろうとしたときに、わずか数年続いたが、あえなく失敗に終わった。


 経済が崩壊するとき、大酒飲みたちはどこでも酔っ払うためのたくさんの理由が見つけるが、酒を造るための十分な金を見つけることができない。ロシアでは、刷新的な自由市場にもとづく解決策がすぐに間に合わせで用意されたが、それを観察できたのは私の特権だった。あれは夏だった、サンクトペテルブルグからローカル路線の電車に乗っていた。電車は鮨詰め状態だったので、私はデッキに立って、ガラスの入っていない窓越しに虹を(ちょうど雨だった)眺めていた。やがて、デッキでの出来事が私の関心を引いた。停車する度に、密造酒の甕を持ったババァが電車の扉に近づいてきて、車内の熱心な客に臭いを嗅がせるのだ。値段とクォリティがすぐに話題になり、ひとつかみの紙幣と交換して取り決めた量の酒が甕からジョッキへと注がれた。そして、電車は動き出した。なんとも緊張した雰囲気だった。というのは、支払いをしている客のほかに、単に乗車するためにやってきた多くの人がいたのだが、彼らも公平な分け前を期待していたからだ。私はせわしなく客車へと押しやられてしまったのだが、たかり屋たちは私がたかるのに打って付けの場所にいると考えたからだった。


 合衆国にも田舎には密造酒メーカーがいくつかあるのかもしれない。だが、この国の至る所では缶やビンに詰められたビール、あるいは壺やプラスチック容器やガラス容器に入ったリキュールの依存症になっているように思われる。そのような酒が各州を結ぶトラック輸送が支障をきたして枯渇したならば、地方の醸造所は疑いもなく操業し続けるだろうし、以前からの需要と新規需要に応えるために、生産量の増大に努めさえするだろう。そして、さらなる弥縫策がある。私は、カンナビスがより広範に普及するようになることを予想している。カンナビスは、酒よりも暴力を誘発する傾向が小さい。それは長所であるが、カンナビスは食欲を刺激する。このことは食糧が豊富でないならば短所となる。そして、アルコールの製造は穀類や天然ガスおよび複雑な化学を要求するが、カンナビスはアルコールの製造よりもはるかに安上がりである。


 つまるところ、合衆国では、資産剥奪と安全保障に加えて、薬物およびアルコールが短期的には崩壊後の起業家にとってのチャンスの最大のものとなり得ると予想する。

 

日常の消失


 崩壊の初期の被害は日常感覚である。人々は先ず喪失感に襲われるが、ぼんやりとした感傷を除けば、ずっと存在していたものをすぐに忘れてしまう。もっとも、日常は必ずしも普通のことではない。工業経済においては、日常の感覚は人工的につくられた代物なのだ。


 資源の減耗のために、私たちは環境の破滅に向かって突き進んでいるのかもしれないが、ありがたいことに、そこには至っていない。当面、照明の明かりが灯り、通りには車が行き交い、たとえ停電で照明が消えたとしても、やがて元に戻り、店舗も営業再開する。いつものようにビジネスが再開する。豪華なビュッフェ式ランチも定刻通りに供されて、そして、専門家たちが束になって大惨事を避けるために講ずる対策についての議論を再開できる。だが、ランチが供されなくなれば、照明もまた消えたままだろう。そして、ある時点で、誰かがすべては茶番だと言うだろう。専門家たちは永遠に議論を中断することになる。


 ロシアでは、日常は段階を踏んで崩壊した。先ず、人々が心のうちを語ることを躊躇しなくなり、権威者におもねることをやめた。ついには、権威者たちが互いを尊重し合うことをやめてしまった。決定的な出来事は、 エリツィンが戦車の上に登って、「旧ソビエト連邦」という言葉を発したことだった。


 ソビエト連邦では、アフガニスタンでの手詰まり、チェルノブイリの大惨事、そして全体的な経済不振によって日常は閉塞したものだったために、グラスノスチとして知られる期間にはマスメディアの注意深い管理を通して日常が演出され続けた。合衆国では、経済が何年も続いて雇用創出に失敗しており、経済全体が破綻へと傾いているが、通常の業務は最高益を続けており、あるいはそのように私たちが信じるように誘導されている。2005年頃のアメリカの日常は、かつて難攻不落だと思われていた1985年頃のソビエトの日常に似ているように思われる。


 日常感覚を維持する方法においてソビエトとアメリカに違いがあるとすれば、この点だ。ソビエトは力で日常を維持しようとしたが、アメリカのより優れた方法は恐怖を通して日常を維持している。あなたが地位の低下を恐れるようならば、より普通に感じる傾向があり、誰かにのっぴきならない立場に追いやられそうになろうものならば、命がけで地位にしがみつくだろう。


 さらなる指摘。消費社会において、人々から買い物を取り上げるような何かはおそろしく破壊的であり、全ての消費者がそのように理解している。高度に発展して繁栄した工業社会が存続する見通しを欠いているということを正しく言えば、消費者の集合的無意識にとって破壊的なものとなる。それを拒絶する群居本能があり、それゆえ明白な活動を通してではなく、利益の減少によって消費社会は破綻する。いかんせん将来展望は不人気である。


 どのように日常が強いられているか、あるいは強いられたかには若干の違いがあるものの、技術的には異なるもののほぼ同じ手段によって、今のアメリカ同様、今はなきソ連においても日常は記録され続けた。ソ連には、samizdatと呼ばれた、自費出版物があった。手動式のタイプライターとカーボンペーパーを使って、反体制派のロシア人たちは、強制された日常を中和するのに十分な情報をどうにか回覧していた。現代の合衆国には、ウェブ・サイトがあり、ブロガーがいる。異なる技術ながら、同じ重要性をもっている。これらは、強制された日常がふつうではない、ということについて書かれたものだ。ふつうのこととは、真実あるいは少なくとも誰かの熱心な真実への接近を綴ったものである。


 それで、崩壊を正確に予告したソビエトの異端者たちはどうなったか?手短に言えば、彼らは姿を消した。というのは、悲劇的かつ皮肉的だが、システムの欠陥を説明してシステムの終焉を予言するような才のある人になれる者は、システムのまさに一員だったからだ。システムが消滅するときには、彼らが属する専門分野、そして彼らの支持者もまた消滅するわけだ。人々は苦境を頭で対処することをやめて、飲酒や薬物に溺れたり、あるいは創造力または狡猾さを駆使したりして、苦境から逃れようとし始めるが、人々は大局観を熟考する余裕がない。

 

治安


 崩壊後のソビエトの治安は、言うならば、弛緩していた。私は無傷だったが、そうではない人を何人か知っている。私の子供の頃の友人と彼の息子は、わずか100ドルばかりのことで、アパートで殺された。また、私が知っている年上の女性は強盗に襲われ顎を負傷した。強盗は彼女の帰宅を待ち伏せして、彼女を襲って鍵を奪い、彼女の家に略奪に入った。この類いの話には枚挙に遑がない。帝国は暴力ないしバイオレンスの恐怖を通して紐帯を保っている。合衆国もロシアも多数の公務員によって奉仕されているが、彼らの専門的技術は暴力を用いることにある。兵士、警官、刑務官、民間の警備コンサルタントなど、である。両国とも、人を殺傷した戦闘経験があり、その経験によって精神的にダメージを負い、人間的な生活に不安を覚えている男性を過剰に抱えている。両国には、攻撃あるいは防衛で、暴力のために活用される人材がごまんといる。どんなことが起ころうと、彼らは雇用されるか自ら従事することになる。もちろん、雇用が優先される。


 崩壊後の状況では、こういった暴力的な男は自ずと民間の警備コンサルタント部門に吸収される。彼らには仲間たちすべてを多忙にできる十分な仕事を作る方法がある。仮にあなたが彼らを雇わなくても、彼らは仕事をするだろう。あなたのためにではなく、あなたを敵に回して働くわけだ。様々な規模と形態の仕事が生まれ、あなたに守るべき資産があって、何かを望むならば、あなたの時間とエネルギーの多くは民兵組織を満足させて効果的にすることに使い尽くされることになるだろう。そして、人々の暴力性が発達するために、多くの犯罪が蔓延るようになる。刑期を終えて、あるいは刑務所が一杯になって資源不足が特赦を余儀なくするにつれて、罪人たちは自然に放たれ、凄惨な犯罪の暮らしへと戻る。だが、もはや彼らを再び投獄する者は誰もいない。というのは司法機構が財源不足で崩壊するからだ。かくしてさらに民間の治安に関する窮地は悪化して、さらなるリスクに対処する余裕がある者はいなくなる。


 安全を供することができる人々と単なる悪党の間には連続性がある。安全を供することはできる人々はまた悪党を雇うか始末するかの方法をも知っている。しかるに、治安についての教育を受けていない消費者の観点からは、個人よりも集団で動くことがとても重要になる。安全に対する需要は大きい。絶望的な人々が溢れ、モノを見張っていないと、盗まれてしまうからだ。安全保障は広範である。キュウリ畑を見張るための不眠不休のババァから、駐輪場の係員、留守番、武装した護衛隊、屋根の上のスナイパーまで実に活動範囲は広い。


 治安及び司法機構が機能していた政府が衰微するにつれて、政府が蔑ろにする治安活動の埋め合わせを民間の即席の自警団のようなものが担うようになるだろう。ロシアでは、警察が基本的に機能していない時期があった。警察には装備も予算もなく、彼らの給与は生活する上で不十分だった。殺人事件はいっこうに解決せず、強盗侵入事件は調べられることさえなかった。警察は収賄で辛くも凌ぐことができただけだった。警察と組織犯罪の一体化はおびただしい数に及んだ。経済が回復するに連れて、ある程度、元の正常な状態に戻った。だが、経済の回復を期待できる理由がないところでは、人はいかにして見知らぬ新しい友人をつくって生涯続く友好関係を保つかを学ばねばならない。

 

政治的無関心


 ソビエトの崩壊前、最中、直後と、進歩的とされるグループによる多くの政治活動があった。リベラルで環境主義かつ親民主主義的改革者らのグループだ。これらはソビエト時代の反体制運動から生まれ、一時期とても重要なインパクトを与えた。だが、10年後、「民主主義」と「自由主義」は、外国人によるロシアの開発やその他の堕落に関連して、ロシアでは汚い言葉となっている。ロシアの状態は、独裁主義的傾向を伴う中道の穏健派である。ほとんどのロシア人は政府を嫌い、信じていないが、弱体化を恐れ、強い指導力を望む。


 政治における理想主義が崩壊後の暗澹たる政治環境では伸びない理由を理解することは簡単だ。スケープゴート(不可避的に、外国人や少数民族)を探したがる民族主義者による右傾化、権力の温存を図ろうとする旧体制のメンバーによる中道路線があり、左翼では優柔不断、混乱、結論の出ない議論の激増がある。なんとかしたいと思う輩によるものだが、事をし損じるものだ。ともあれ、リベラル派は一つ二つ実験を試みるチャンスを得るだろう。イゴール・ガイダル
(註:1992年6月から12月までのロシア連邦政府の首相代理を務めた改革派リーダー) は、エリツィン政権下で自由主義の経済改革を画策した。彼は悲喜劇的な人物で、彼の業績を思い出すや多くのロシア人が立ちすくむ。(公平に言えば、彼の改革のほとんどは実行されなかったので、彼の改革がいかに有益もしくは損害となったかはわからない。)


 合衆国のリベラル、改革派、進歩主義者らは、それが自称であれ、そのようなレッテルが貼られているのであれ、彼らのアジェンダを実行するのに困難な時代を過ごしてきた。社会保障のような、彼らが苦労して手に入れたわずかな勝利さえも取り除かれてしまうかもしれない。彼らの好みにあった大統領を選挙で選ぼうとしたときでさえ、西洋の基準では、その努力は保守的なものとなった。カーター・ドクトリンがあったが、それによれば、合衆国は必要とあらば軍事攻撃によって石油の調達を死守するというものだ。クリントン政権では福祉改革があった。それは標準以下の保育施設に子供を預けてシングルマザーたちが熟練を要さない仕事に就けるようにしたくらいのものだった。


 合衆国の人々は、ソ連の人々とおよそ同様の政治に対する態度を示す。このことは、合衆国ではしばしば「投票者の無関心」と言われるが、より正確に言えば、投票に行かない者の無頓着ということである。ソビエト連邦には一つだけ堅固なシステマティックに腐敗した政党があって、それが権力を独占していた。合衆国には二つの堅固なシステマティックに腐敗した政党があるが、両政党の政治家はどちらの政党に属するのか区別がつかず、両政党が一緒くたになって権力を独占している。米ソとも単一政府のエリートを有するが、合衆国では権力の奪取をよりスポーツマンらしく見せるように対戦チームを組んだ格好になっているわけだ。


 合衆国では、政治コメンテーターや政治学の専門家からなる産業があり、とりわけ選挙前には、政治への情熱を煽ることに熱心である。これは、スポーツ関係の記者やコメンテーターが試合に関心を引かせるためにやっていることと同様である。合衆国の政治家の講演の後ろに隠れた主たる力は倦怠であるように思われる。人は天気や職業、住宅ローンとそれが現在および将来の資産価値にどう関連づけられるか、自動車、交通事情、スポーツといったことについて話すことができるが、スポーツのもっと後に、政治が並ぶのだ。人々が関心を払うようにするための努力として、選挙民の前で何度も繰り返される問題のほとんどは人工中絶、産児制限、幹細胞研究といった再生産に関係があることで、同じ主題の社会政策が決定されるわけでもないが口論される。というのは、そういう話題は人気取りだからだ。そして、持続可能な発展、環境保全、エネルギー政策といった「退屈」だがきわめて重要な戦略的問題は慎重に避けられている。


 人々はしばしば政治の無関心をあたかもゆゆしい社会の疾患であるかのように嘆き悲しむけれど、そうなるべくしてこうなっているように私には思える。そもそも、本質的に力のない人々が、権力を行使する人々の正当性を証拠立てるために計画された屈辱的な茶番にどういうわけで参画したくなるというのか?ソビエト時代のロシアでは、知能の高い人々は共産主義者を無視することを最善とした。共産主義者に注意を払うことは、それが批評だろうと賞賛だろうと、彼らを調子に乗せるだけで、彼らに自分たちが重要な存在であるかのように感じさせてしまうからだ。いったいどういうわけでアメリカ人たちは共和党と民主党について何らかの違いがあるかのように振る舞いたがるのだろうか?ロバと象の愛のためなのだろうか?

 

政治の機能不全


 先述したように、「私たち」にとっての危機を緩和するためのアジェンダ、すなわち資源を巡る戦争、原子力発電所の建造、風力発電設備、あるいは水素夢物語といったものは、実行されないだろう。というのは、ここに示される「私たち」という統一体がもはや機能しなくなるからだ。崩壊する前からアジェンダを実行できそうもないとしたならば、私たちに残されたことはなんであれ後になってから実行されるなどということはなさそうだ。しかるに、善処しようとして政治的に組織化するようなわずかな理由もなくなる。だが、あなたが悪い状況から利益を引き出す準備をしたいのならば、それはまた別の話だ。


 政治というのは、悪い状況をさらに悪くするもの凄い潜在能力をもっている。政治は戦争、民族浄化、ジェノサイドといったことをも導き得るのだ。政治のための組織に人々が結集するときはいつでも、それが自発的だろうと強制されてだろうと、騒乱の前兆である。最近、私が属するコミュニティ農園の年次総会があった。おとなしい内向的なグループの中に二人の自称「活動家」がいたのだ。やがて、このうちの一人が人々を排除する提案をした。年次総会に姿を見せず、清掃や堆肥作りなどの参加にサインしない人々、そういう人々が区画を使っていいのか?と。この活動家が槍玉に挙げている「集団の方針に従わない連中」は、年配のロシア人たちのことで、彼らはソビエト時代にこの類いの過酷な経験をしているので、共同作業を強制されたり、集団でミーティングに参加したりすることを好まないわけだ。率直に言えば、彼らは団体行動よりも死を選ぶだろう。だが、彼らもまた菜園は大好きなのだ。


 そんな「連中」がこの特別なコミュニティ菜園にいることが許されている理由は、この地を運営する女性が彼らの区画の割り当てを許可しているからだ。それは、彼女の決定事項なのだ。彼女はリーダーシップを発揮しているが、政治には参加していない。彼女は菜園が機能するように、1年に1度、活動家が難癖を付けることを許しているが、これまでのところ大過はなかった。だが、状況が変わって、菜園が突然、趣味というよりもむしろ生活維持の源になったとしたならば、あの活動家風情がさらなる力を要求して、権限を主張し始めるのも遠からず、ではないか?


 リーダーシップは、危機の最中には確かに助けとなる特性である。危機の最中にはとりわけ、長時間の議論は悪い時間となる。どんな状況でも、危機に対処する上でよりよく備わっている人々がいて、そういう人々が方向を指し示すことによって他の人々を助けることができる。そういう人々は自然と権力を蓄えており、その権力から大勢が利益を得ている限り、また誰も害されたり抑圧されたりしていない限り、事は順調である。そのような人々はしばしば自発的に危機の最中に登場するものだ。


 危機の最中に等しく有効な性質は冷淡さである。ロシア人たちは特別に辛抱強かった。崩壊後の最悪の時期においてさえも、彼らは暴動を起こさなかったし、大きな抗議活動もなかった。彼らは自身でできる限りの対処をしたのだ。危機の最中に共にいて最も安全な人々のグループは、強力なイデオロギーの信念を持たず、議論によって容易には動揺せず、過剰に排他的な自己認識を持たない集団である。


 「何かやらなければならない」と焦って,バカな扇動政治家に翻弄される、無力な出しゃばりは十分にひどいが、もっとも危険で、監視の目を休めずに避けるべき集団は、なんらかの施策を組織化して推進することを決めた政治活動家のグループである。たとえその施策が慈悲深く、収益をもたらすものであっても、問題解決のために政治に関わる手法は、慈悲深く利益になるものではないだろう。ことわざにある通り、革命は子供を食べてしまうのだ。そして、彼らは他のすべてのものに向かう。難民の生活はサバイバルの様相を呈する。踏み止まって組織化した暴徒と戦うことは通常、望みがないことだ。


 バルカン半島は誰もがよく知る崩壊後の悪夢だ、旧ソビエト連邦の中で、グルジアは民族の崩壊へと向かっていった民族主義政治の典型例だ。グルジアは独立を勝ち取った後、民族主義の熱狂の痙攣常態に陥り、領土をいくらか小さくして、人口をいくらか減らして、永久的に死んだような国になってしまった。そこには貧困が蔓延して、おびただしい数の難民、永久的に政治の不安定に陥った二つの地方がある。永久的に死んだようなというのは、明らかに、世界が政治的境界線を再び引く能力を失っているからだ。現在の形式上、グルジアはワシントンの政治的軍事的取引先であり、カスピ海の石油に通じるパイプラインとしてのみ重宝がられている。だが、その主たる貿易相手国およびエネルギー供給元はロシア連邦である。


 合衆国はロシアよりもバルカン半島に似ている。ロシアにはかなり均一なカフカス人・アジア人が暮らしているが、合衆国は往々にして人種や民族、さらに所得水準による差別待遇が蔓延っている。繁栄を謳歌できた時代には、刑務所に収監する人の数で史上最高の世界記録を打ち立てて、比較的穏やかな状態を保ってきた。だが、零落するや、政治的爆発という大きなリスクに変わるだろう。多民族社会は脆弱で不安定である。そんな社会が崩壊ないし爆発するとき、誰もに被害が及ぶだろう。

 

合衆国での崩壊


 合衆国では、個人や一家族のために円滑に機能する崩壊シナリオをつくる方法は限られる。至る所、持続不可能な方向に突き進んでいるように思われるからだ。まさに創造性にとってチェレンジであり、そのことを深刻に考えるべきである。


 仮にあなたが大都市のアパートあるいは分譲マンションに住んでいるとしよう。すると、あなたは生活のために自治体のサービスに頼るだろう。電気、暖房、水、ガス、ゴミ収集のない一週間は極めて不快な生活を意味する。ここに挙げた二つを欠けば災害で、三つだったら大災害だろう。食料はレジにてお金またはクレジット・カードの助けを借りてスーパーマーケットで調達していることだろう。清潔な衣服はローンドロマット(註:コインランドリーの商標)のおかげであり、その機械は電気、水、天然ガスを必要とする。すべての営為が店じまいするや、あなたのアパートは寒くて暗くなり、(ゴミの回収が来ないから)ゴミ臭くなるし、(トイレが流れなければ)排泄物の臭いも漂うようになる。おそらくそれが、キャンプに出発して、すばらしいアウトドア生活を始める合図となる。


 田舎の方のことを考えてみよう。あなたは家とインフレ後には無に等しくなるローンを抱えているとしよう。あるいはあなたは抵当に入ってない家を所有しているとしよう。それが開発された郊外の区画にあるのなら、税金、諸々の規制、隣家に暮らす余所者、公共事業などの問題が残る。状況の悪化と共に問題も悪化するだろう。困窮した自治組合は、活動をやめるのではなく、先ずは費用を補うためのレートを上げようとするだろう。彼らは、資産価値を守るための誤った方策において、堆肥、納屋、鶏小屋、前庭で育てた農作物といった必需品に規制をかけてくるかもしれない。芝生やゴルフ・コースにたっぷり散布した殺虫剤や除草剤は毒性の残留物を残していることを覚えておいた方がいい。おそらく、郊外生活に対処する最優先事項は、それをすべて諦めることなのだ。


 小さな農地は畑仕事をするためのいくらかましな可能性を供するが、アメリカのほとんどの農地は徹底的に抵当に入っている。そして、ひどく耕されたほとんどの圃場が、容赦なく化学肥料、除草剤、農薬をすきこまれて、健康によくない土地になっており、そこに暮らす男の精子数は少ない。小さな農地は人里離れた土地になる傾向があり、軽油やガソリンなしでは、多くの場所は危険なほど隔絶している。あなたは物々交換して、あなたを助けてくれる、共に生きる隣人を必要とするだろう。たとえ小さな農地でさえ、利用可能な耕作地という観点では過剰になるかもしれない。というのは、収穫した作物を市場に運ぶこともできず、あるいは作物を売る貨幣経済が機能しないのならば、余剰作物を育てる理由はなくなるからだ。必要な大きさは数千平方フィートというところで、数十エーカー
(註:1エーカー=4047m^2)は持て余すことになる。多くのロシア人家族は、1sotkaすなわち100平方メートルほどの菜園区画のおかげで生き残った。それは、0.024710538エーカーないし1076.391平方フィートに相当する。


 もちろん、必要とされるのは、小さな街あるいは村である。比較的小さな、それでいて密集して暮らしており、およそ30人ごとに1エーカーの農地(註:3人ごとに1エーカーの計算ミスかもしれない)があり、公平かつ継続的な利用ができるような区割りがあって、しかし投資、成長、資産価値、その他の「発展」からは無縁なところだ。さらに、人々が互いを知っていて互いに助け合うような土地、真のコミュニティでなければならない。合衆国の比較的貧しい郡のあちこちに二三百のコミュニティが残っているかもしれない。だが、十分な数はなく、また、そのようなコミュニティのほとんどはあまりにも貧しくて経済難民を大勢受け入れることはできない。

 

投資についてのアドバイス


 人々が経済破綻の可能性について聞いたとき、「アメリカ経済がやがて崩壊するとして、それに対して私は何も出来ないのだとしたら、考える意味があるのかね?」というような想いを巡らせるものだ。私はプロの投資アドバイザーではないので、崩壊に対して耐性あるポートフォリオ作りに何かアイデアを出すとしても何らリスクはない。


 典型的なアメリカのサバイバリストが核の脅威に取り憑かれるならば、丘に穴を掘って、シェルターを装備して、SPAMの缶詰を備蓄して、隣人と戦う、あるいは隣人がビールやSPAMのサンドイッチを持ち歩いているときにそれを打ち落とすために、銃などの各種防衛手段を用意するだろう。そして、もちろん星条旗も飾る。この類いのサバイバリズムは地底人として生きて行くには結構な話だと思う。


 備蓄という考えは悪くない。もっとも、食糧の備蓄は陳腐な考えだ。むしろ、ある種の工業製品こそ検討するに値するだろう。あなたが退職金等の基金を積み立てているとしよう。だが、退職する頃にはコーヒー1杯分にもならないだろう。ならば、将来のために、貯蔵性に富む必要不可欠で価値あるモノでも買っておいた方がよいと考えるだろう。そして、貯蔵するためのスペースとして数百平方フィートほどのスペースを持っているとしよう。さて、あなたならどうするだろうか?座ったまま貯金が雲散霧消するのを見ているだろうか?それとも、課税されてから、蒸気の如くにならないものに投資するのだろうか?


 さて、ATMのお金がなくなると、チッカーも止まって、小売りチェーンも崩壊する。だが、人々はなお基本的な必需品を必要とするだろう。それゆえ、必需品を供するフリーマーケットや物々交換の仕組みが自ずと出来上がる。なんともなれば、交換のためのローカルな代用貨幣も使われることになるだろう。100ドル紙幣の束、金の破片、たばこなども交換の媒介物として使われることだろう。必要になるものをすべて手元に用意するという考えも悪くはないのだが、必要になるものを調達するために交換可能なモノを準備するべきなのだ。ハイテクを要求するモノや長持ちするモノで必要とされる消費財のことを考えよう。手始めに、こういうものを準備しておくといいだろう。薬剤、剃刀、コンドームなど。二次電池と太陽光を使った充電器はとても重宝するだろう。石鹸のような洗面用具も贅沢な品物になる。コンテナに入れて、腐さったり劣化したりしないようにして、どこかにしまっておくことだ。


 ソビエト崩壊後のことだが、すぐに行商が現れて、彼らは輸入品を売り歩いていた。その商品を手に入れるためには、ポーランドや中国、トルコにまで大きな鞄を持って電車で出かけて行かねばならなかった。彼らはロシア製の時計を持ち運んで、シャンプーや剃刀のような、より有用な消費財と交換して持ち帰ってきていたのだった。経路に沿って公務員に賄賂を渡したり、商品を盗まれたりもしたそうだ。ともあれ一時は、定期往復便を意味するロシア語のchelnokiと呼ばれた人々だけが唯一の消費財の源にさえなった。商品はしばしば工場の不適格品や損傷したモノ、有効期限を過ぎたモノだった。それでも商品価値が下がることはなかった。彼らから教訓を得るならば、どのような商品に高い需要があるかを予測して、経済崩壊時のリスクヘッジとして、予めストックしておくことができるだろう。なお、chelnokiは電車での交易が損なわれていない経済条件でなされたということは付言しておくべきだろう。これはアメリカにはあてはまらないかもしれない。
(註:chelnokiの画像。 Survival in Times of Uncertainty: Growing Up in Russia in the 1990s http://www.sott.net/articles/show/147683-Survival-in-Times-of-Uncertainty-Growing-Up-in-Russia-in-the-1990s このエッセイも崩壊後を展望する上でとても参考になる)


 上述した類いの備蓄があって、歩いて暮らせる社会的に安全な場所で、自身の家と土地を持って、食糧を生産しつつ余りを物々交換しながら、気心の知れた人々と共に暮らせれば、経済崩壊を生き残るのは屁みたいなものだろう。それどころか、あなたは幸福を見い出しさえすることだろう。

 

結論


 基本的かつ明白な結論は、合衆国はかつてのロシアよりも経済崩壊への備えがなっていない、それゆえ、ロシアが経験した以上に困難な時代を迎えることになるだろう、というものだが、まったく役に立たないわけでもない、いくつかの文化的な側面が合衆国にある。楽観的な覚え書きを終えるにあたり、三つのことを記しておく。


 一つ目には、おそらくはもっとも驚くべきことかもしれないが、アメリカ人はロシア人以上に優れた共産主義者を作り出している、あるいは、そうしたいと思っていた。彼らはすばらしく安定的なルームメイト状態という共同生活に秀でており、それは彼らの弱くて、疎外されて、実在しない家族を補っている。このようなルームメイト状態がひな形になって、村落規模の自己組織化されたコミュニティにまで展開し得るだろう。多くの物資を貯め込んだ大家族は、不安定で資源の乏しい環境では、個人的な取り組みよりもますます大きな意味を持つだろう。円滑に経済が機能しなくなると、単身世帯や核家族は姿を消して、人々はより大きな所帯で暮らすことを強いられる。ルームメイト状態から間借りへ、倍々で大きくなって村を形成するわけだ。このような考えにロシア人ならば、集産主義と強制された集団生活というソビエトの実験の失敗の記憶が呼び覚まされて尻込みすだろうが、多くのアメリカ人は早く友達をつくって暮らしていく達人であり、まだまだ未開拓の社交性、コミュニティ・スピリット、公共心のある理想主義を持ち合わせているかもしれない。


 第二に、少なくともアメリカ社会のいくつかの部門には基本的な礼儀正しさと愛想のよさが残っている。それらはソビエトの歴史においてほとんど破壊されてしまったものだ。見知らぬ者を助けようとする利他的衝動や他者を助けようとするプライドもある。多くの面で、アメリカ人は文化的には均質であり、彼らの対人関係における最大の障壁は人種および経済的に区分された生活条件によってつくり出された恐怖と疎外感だろう。


 最後に、車に施された愛国的なステッカーや旗などの下品な飾りに隠れつつも、静かに国民としてのプライドの底流があり、それが呼び起こされるや、高いモラルと成果を生むだろう。アメリカ人はまだ、やすやすと環境に屈していない。彼らの多くは彼らの国の苦境をしっかりと理解していないために、苦境を和らげる努力は無駄になるかもしれないが、しかし彼らには断固たる行動をとることが事実上保証されている。というのは、「つまるところ、これがアメリカなのだ。」

 

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